sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と耳コピDTM

ポメラとAI

ポメラのメリット再確認

デジタルデトックス

前にも書いた。ポメラのメリットはネットにつながらないことである。短時間ながら集中する時間が確保できる。さあ文章を書くぞ、と取り組んで気が散らない。

スキマ・テキスト作成

暇つぶしに文章を書ける。ネットを巡回して腹を立てたり滅入ったりより、よほど有益なプライベート活動だ。精神によい。

他のメリット

文章冷却期間

直接ネットにアップロードできないのがよい。納得いかない文章だけど、せっかく書いてしまったから公開しておくか。みたいなことが減る。USBでつなげてMacと同期してそこからブログにアップロードという不便さは、デメリットなようで実はメリットだ。

せき立てられない

ブログ編集画面に打ち込んでいるとなぜか「早く公開しなさい」「頻繁に更新しなさい」とせき立てられる気がしてしまう。ポメラにテキストを打ち込むと、納得がいかないときに2,3日寝かそうか。という気分になる。1,2週間寝かして一部を別のネタにしたり、そのままボツにすることもある。

文章が変わった

書く道具で文章は変わる。例えば手書きとワープロでは文体すら変わる。同じ手書きでもひょっとしたら鉛筆と万年筆では変わるかもしれない。入力装置は同じキーボードでもMacとポメラで文章が変わった。気が散るかどうかの違いだ。Macで打ち込んだ文章はやや散漫あるいは冗長なことが多い。

流れでAIについて考える。

文章作成ツールとしてのAI

AIで文章を効率的に書く

というWeb記事をいくつか見た。AIが出力した文章は面白いのか?という疑問が出てくる。それっぽいだけで退屈な文章は多い。数打てば当たる。それは確かにそうだ。どれだけ数を打たなければならないのか。人生は有限でそこがネックになるだろう。

無限の猿定理」という思考実験がある。今風に書けば『AIが十分な時間を持って取り組めば『ねじまき鳥クロニクル』を生み出せるか?」という問いになる。僕は時間の無駄だと思う。AIがどんなに速く文章を生成したとしても、人間には読んで理解して評価する時間が必要だ。

AIが作る文章

定型作業で作れる文章はAIに任せた方が効率的だろう。例えばネットに転がっている文章の要約。その延長の"こたつ記事"。紋切り型の商品レビュー。AIが書いたというショートショートを読んだことがある。大して感心しなかった。とにもかくにも一本出来あがるのは凄いことだとは思う。それと品質は別の問題である。

AI俳句は一時期話題になった記憶だ。意外な句を吐いて楽しいとか何とか。でもまあ、AI謹製の句を読んでも全然面白くない。あれは読んだ人の背景を想像するから面白いのであって「AIがそれっぽく組み合わせた五七五」など興ざめもいいところだ。

結局は人間が作る

なぜAIに聞くのか。何をどう聞くのか。アウトプットをどう見せるのか。そこに人間の創造性が出る。人間の創造性が加わることで面白くなる。

確か写真家だかイラストレータが、AIのアウトプットを利用して賞を取ったケースが少なくとも2回あった記憶だ。先日もAI生成テキストを文学に取り込んだ作品が芥川賞を取った。

素人が"プロンプトエンジニアリング"とやらで出力させたもの"そのまま"、"out of box"が評価されたのではない。人間がAIにインスパイアされて作品を作り上げたのだ。使う人と使い方次第である。

「問う」ということ

人はAIへ問うことで結果を得る。調べ物がそうだし、文章の作成依頼なども同じ。「取引先へのクレームメールを英語で作成してください」は「取引先への英文クレームメールはどのようなものがありますか?」と等しい。AIに求めるのは回答例である。

実は問いを立てるのはそれほど簡単なことではない。ハイデガーが『存在と時間』の冒頭でねちっこく書いている。正しく問いを立てれば問題は解決したも同然である。後は時間の問題だ。AIはその時間を短縮しているだけだ。

正しく問いを立てるには、問題そのものを理解し、解決の方向性も見通していなければならない。"プロンプトエンジニアリング"という言葉が一時期流行った。小手先もいいところだ。それで解決できる問題など大したものではない。

問いは慎重に

養老孟司が「『知る』ということは『がんの告知』だ」と書いていた。知識が人生を根底から変える可能性がある。つまり問いを通して人生が変わる可能性がある。

AIに人生について問う人もそうはいないだろうと思いきや、AIブッダなるものを始める人もいる。人間とは度し難いものだと思う。「本当のこと」や「当たり前のこと」は生きることを通して得られるのであって、簡単な問いによってAIから与えられるものではない。AIに無責任な問いを投げかけて得られたそれっぽい回答を喜んでいるのは無責任な"驚き屋"である。

AIと"驚き屋"

「AIでXXXしてみました。これは凄い。大変なことになっています。いかがでしたか」いわゆる驚き屋がまだ目立つ。少し洗練されてはきたものの、今でもAI周りで騒いでいるのは驚き屋が多い印象だ。(ジブリ風イラストが出力できたからどうしたというのだ?

何かが本当に凄いことなら専門家や有識者が意味のある考察を発表し、企業も製品化を始める。驚き屋は相対的に目立たなくなる。ネットで驚き屋が目につくということはまだまだ裾野が広がっていないということだ。つまり、驚き屋が目立っている間は、実はそこまで大したことがないのだ、今のところはそんなふうに見ている。