僕が中高生の頃、
「欧米人に比べて日本人は個の主張が弱い。よくないことだ」
という風潮があった。
アラフォー以下の人たちにはピンとこないかもしれないが、当時は学校の先生たち、知識人、会社の偉い人たちに、欧米コンプレクスがあったのだ。
この議論は
「欧米人のようにどんどん自分の権利を主張すべきだ。各個人の主張をすり合わせることで世の中は良くなるのだ。日本のようになあなあで済ませる社会はダメだ」
と続く。雑な主語デカ議論だが、まあそれなりに筋が通っている。
今ふうに言えば
「場合によっては『あえて空気読まない』方がいいよね」
となるだろう。こちらの方が「欧米が〜」というよりも洗練されている。
ところが、今の欧米を見ると
「各個人が自分の権利を主張し、それを踏まえ民主的な議論が巻き起こり、より良い方向に進んでいる」
ようには、到底見えない。
特に二極化したアメリカ社会をテレビで見ると、愕然とするほどだ。双方が極端な主張をするばかりですり合わせる様子はない。挙げ句の果てには鉄砲を持ち出して相手を撃ち始める。トランプが落ちたら内戦が起こる可能性も、などと言う人もいる。とんでもねえ国である。
マイケル・サンデルさんも「双方の立場を理解する態度が失われたアメリカでは、民主主義は危機に瀕している」などと嘆いておられた(NHKのインタビュー。
そして話は一気にアニメに飛ぶ。
「響けユーフォニアム」
の話である。
登場人物の中で我が強く、筋を通すのは少数派だ。(高坂麗奈と田中あすかを思い浮かべている。3期は途中なので強キャラの取りこぼしはあるかもしれない)。
他の登場人物は、周りの空気を読んだり、我慢して密かにストレスを溜めたり、自分なりの問題を抱えて悶々としたり。
どこかの時点で誰かのストレスが臨界点を超えて”問題”が起こり、主人公の黄前久美子さんが話を聞いたり、共感したり、フォローしたりするわけだが、決して何かを解決するわけではないのがこの物語のポイントである。
傾聴と共感。
コミュニケーションのもっとも重要なファクターである。
主張することも大事だが、まずは誰かがそれを聞いて、ある程度共感しないと議論も始まらない。主張し合うだけでは何も解決しないのは、アメリカ社会を見ればよく分かる。
「女性は共感を求め、男性はソリューションを求める」
僕の経験は異なる。
ビジネスの場で男性に、直球でソリューションを提示してもイラっとされることは多い。プライドが傷つくのか。メンツがあるのか。まず共感と同情を示してあげると、ようやく話を呑み込んでくれる。それでも妙な愚痴を聞かされたりと簡単ではない。女性だろうが男性だろうが、関係ない。コミュニケーションは面倒臭いものだ。
感覚的には
「女性は共感を求め、男性はソリューションを求める」
ではなく、
「男性は共感を示すのが下手で、小手先のソリューションを考えたがる」
の方が正しい気がする。
頑張って考えた小手先のアドバイスに、女性が感心しないものだから、悔しくて「ほら、女は共感が欲しいだけだ」なんてほざくのである。
「響け」の人間関係はかなりリアルだ。
あの空間に雄弁な人を置いてみても、明らかに役に立たない。距離を置かれるだけだ。
論破芸しかり。嫌われるだけである。
理念を振りかざしたって無駄。部員に押し付ければ、どんどん辞めていくだろう。
人間関係には勝ち敗けも、ソリューションもない。地道に傾聴し、共感するのがベストである。
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傾聴と共感はとても有効な態度だが、危険もある。
心を開いてニコニコ人の話を聞いていると、相手によってはこっちをバカにすることがある。
詐欺師や、人を利用することが好きなろくでもない人間が近づくことがある。
異性の話を傾聴し、共感しているうちに、相手が勘違いする可能性もある。
逆に傾聴と共感以外のちょっとした振る舞いが、相手を激怒させることがある。(お前そんなひどい奴だとは思わなかった(怒。(いや知らんがな
傾聴と共感は、適切な距離をとった上で実践しないとダメなのだ。
そういう意味でも、少し超越した立場から生ぬるく人間関係を俯瞰し、視聴者の一部からはうっすらと嫌われるという、黄前久美子さんの立ち位置は絶妙だ。傾聴と共感の人は、皆から好かれるわけにはいかないのだ。
やはり黄前久美子さんは人間関係の達人なのである。