sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と作詞作曲(趣味)

ホットクックでパスタ

基本的にパスタは水漬け方式で作っている。

水もガスも少なくて済む。

速く茹で上がる。

鍋で茹でるのと同じくらい美味しい。

 

だから、パスタを普通に茹でたら負けな気がしている。水もガスももったいない。

 

しかし、水漬けパスタには欠点がある。

食べる2時間〜24時間前に仕込まなければならないのだ。

しかも一旦漬けたら24時間以内に食べなければならない※。

 

ホットクックに乾麺からパスタを茹でるレシピがある。水漬けパスタの葛藤を解決してくれるかどうか、試してみよう。

 

まずはレシピに従うのが鉄則だ。

調理時間20分とある。

 

 

パスタを折るのが嫌なので1時間ほどパスタを水に漬けて、曲げて入れた。

20分の調理時間は、ただでさえ長いと思われた。水漬けにしたので15分。

既存のスープパスタメニューではなく「スープ/かき混ぜ/15分」とした。

ひとつもレシピに従ってないじゃん

 

結果、予想通りソフト麺状態だった。味はシンプルで悪くないけどね。

念のため、子供の朝食に、レシピ通り乾麺をバキッと折って作ってみた。

やはりソフト麺状態である。

 

次にアレンジ・チャレンジ。

Webで調べても心許ない情報ばかりだ。

パスタは茹で時間7分のものを90g。

1時間ほど水に漬けて曲がる状態にした。

水は200mlとした。

「煮る/かき混ぜ/5分」で茹でてみる。

 

 

前にポリ袋調理で大失敗したので、思いもよらない大失敗にならないだろうか、と少しばかり心配したけれど、特に問題なくてよかった。

 

オリーブオイルと塩ひとつまみを添加。

少し茹で汁が残っていたので「煮詰め」モードで減らしつつ、レトルトパスタの中身を入れて温め、完成。

 

反省・課題

5分だとちょっと柔らかすぎた。3分でもよかったかもしれない。

水も150mlくらいでよかったかも。

 

っていうか、ブログを書きながら、これならフライパンでいいかな・・・という気がしてしまったな。

 

※ 調べたら水漬けパスタ冷凍できるじゃないか!!!今週末に仕込もう!

 

献立 易占い 《屯》

前回の易占いの結果《水山蹇》(すいざんけん)を検討して、蟹玉に決めた。

 

セブンの「蟹玉の素」を利用。

卵はホットクックで。フワとろではなく、固めのスポンジケーキみたいになる。これはこれで食べ応えがあって美味しい。

後はほうれん草のナムル。味噌汁。

 

易占いと献立決め

献立がぱっと決まる日は珍しくて、迷う日の方が多い。家族に聞いてもいいアイデアが出ることは少ない。「なんでもいいよ」「魚以外で」。ヒントにならないかとWebを調べても、迷うばかりだ。

そのままスーパーに行ってしまうと、いつもの「豚こま」とか「鶏肉」とかを買ってしまい、記憶に新しいレシピをリピートしがちだ。別に悪いことじゃないが、少なくとも楽しくはない。

 

料理を作って食べるのは毎日の営みだから、楽しくないと料理のモチベーションが下がる。生活の質にも影響が出る。逆に「今日はこれを食べたい!」という目的があるとメリハリがつく。

だから献立の検討は毎日の大事なルーティンである。

 

そのルーティンで易占いを使ってみたら、なかなかよい具合だ。

易経は料理とは関係がない。占いの結果から料理をイメージするのは難しいが、不可能ではない。また、一人で悩むのではなく、サイコロの結果(=偶然というか超越というか)とともに考えるのがよいようだ。

 

易経の卦から献立を考えようとすると、それなりに頑張ってイメージを広げて考える必要がある。一生懸命考えるから心も決まる。

 

先送りせずに朝に占ってしまえば、無策のまま夕方になって絶望するようなこともなくなるだろう。

 

この日の結果はこちら。

《坎》かん《震》しん →《水雷屯》ちゅん

《坎》は水で《震》は雷。

雨と雷。とえ悪い卦ではないらしい。

爻には肉や血という文字が見える。試しに6面を振って出た5爻は参考に止めた。

 

昨日安かったので、鶏もも肉を買ってある。

雷。ビリビリ。香辛料。

結論は和風カレー鳥じゃが

 

ホットクックで作るなら、カレー粉は調味液と混ぜるべきだった。

 

あとはほうれん草の和風ナムル。安いめんつゆで。刻みネギ少々。

セールで安かっためんつゆは化調強めで、うどんのかけつゆにすると美味しくない。味玉を漬けたり、ナムルにはちょうどよい。

 

ニラ、もやし、挽肉の味噌汁。挽肉は豆板醤で事前に炒めた。

味噌ラーメンみたいで美味しい。七味をたっぷり入れても美味しいと思う。

 

とらやの羊羹

帰省の手土産の定番だった とらやの羊羹を、一度他に変えたことがある。

 

確かかりんとうだった。間違いなく父の好物である。

たまには気分が変わっていいだろうと思ったら、かりんとうを見た父のテンションが明らかに下がって、思わず笑ってしまった。

日本橋の有名なかりんとうだ。美味しいよ」

「あー、うん」(がっかり

「やっぱ羊羹がよかったか」

「とらやの羊羹は別格だよ」

以降は何も考えずに、とらやの羊羹一筋である。楽でいい。

 

確かに高い。

自分で食べるならありえない値段だ。

間違いないやつ。「どや」れる手土産。ご贈答用である。

家で食べるなど、もってのほか。

 

いえ。

 

そうでもないんです。

 

なぜなら小型羊羹がある。

 

 

コージー・コーナーのケーキといい勝負。

なんなら とらや の方が安いかも。

 

歳を取るとコージーコーナーのケーキ一個はしんどいが、とらやの小型羊羹一個はちょうど良い。

 

羊羹が何でこんな高いんや?スーパーの3倍高かったら3倍美味いんか?(オラオラ

という問いがある。

僕はやはり、とらやの羊羹は美味しいと思う。

濃厚である。体にいいと思う。

ちゃんと羊羹を食べたいとき、その気持ちに応えてくれる。

 

ちょっとしたご褒美に。

ちょっと気合いを入れれば払える。

ちょっと贅沢に。ちょっといい緑茶と。

 

でも、恐れ多いじゃありませんか。

とらやの羊羹を普段使いしていいものか。

 

いいんです!(川平慈英

ぜひ、普段使いしていただきたい!

 

さては関係者か?

 

関係者ではない。

 

お大尽が普段使いする(と想像される)とらやの羊羹。

小型羊羹なら、そこまで敷居は高くないのだ。

 

.

 

ある日のこと。

 

どうしても美味しい羊羹が食べたい。

バカにされたっていい。

何としても、とらやの羊羹を食べたいんだ、と僕は池袋西武に向かった。

 

とらやコーナーの前に並んでるお客さんは1万、2万を支払う太客ばかり。(羊羹だぜ?

僕は自家用、予算2千円だ。

多少の塩対応は覚悟していた。しかし、店員さんの態度はとても、とても暖かかったのである。

 

(小型羊羹とはわかってますね!)と僕の心に語りかける男性店員。(妄想

(私たちの美味しい羊羹を、ご自宅で普通に食べていただきたいんです!そのための小型羊羹なんです!)と目配せする女性店員。(妄想

 

彼らの思いを受け止めて(妄想)僕はニコニコと帰宅したのだった。

 

まあ、とらやの羊羹を買おうって時点で僕の機嫌はいいし、とらやコーナーは従業員が多く、わりと接客に余裕がある。それだけの話かもしれないけれどね。

 

小型羊羹を、気持ちよく買い物できた。

とらやで気持ちよく買い物すれば、気分はお大尽である。

 

だから、おやつには意外と とらやの羊羹なのである。

 

すずめの戸締りようやく見ました

テレビでジャニーズが出るとチャンネルを変える。

かなり昔からの習慣だ。

 

「あ」(触発)

「あれはジャニーズだ」(認識)

「チャンネルを変えなきゃ」(判断)

ぽちっ(対応)

などと複数の工程を踏むわけではない。

 

「あ」(触発)と同時にチャンネルを変えている。

動機も意志もない。

パブロフの犬と同じである。

 

当たり前だが、ジャニーズの方々に個人的な恨みはないし、ファンの方々に思うところも何一つない。単なる後天的反射活動である。何卒ご理解のほど。

 

.

 

というわけで「すずめの戸締り」の声優にジャニが採用されたと聞いた瞬間、映画館に行くというオプションが消えてしまった。

 

地上波放映かサブスク解禁されるなら見ざるを得ないよね、というスタンスで待っていた。

 

ようやく見られて嬉しい。

 

「すずめ」は「天気の子」を軽く越えてきた。

ロードムービーという構成がバッチリはまっている。

廃墟、椅子、みみずなど、仕掛けの一つ一つに気が利いている。

ストーリーが破綻せず、バランスよくまとまっている。伏線も回収される。

イメージの広がりも素晴らしい。新海監督だから当然のように映像も綺麗だ。

ジブリオマージュも楽しい。

いくらでも褒めるところがある。

 

 

監督が同世代なのでどうしても応援するし期待するからね。とにかくよかった。一安心だ。

 

あまりによくできたアニメなので、ここはもう少しアレだった方がと思ってしまうこともあるけれど、無粋なので書かない。いやアニメ本体ではないです。

 

細かいところはともかく、どうしても引っかかったのはエンディングである。

 

(以下、ネタバレ入ります)

 

.

 

例えば、宮崎作品のエンディングはどれも「みんな」を巻き込んだハッピーエンディングである。

仲間みんながハッピーになるとか、

ラピュタ、魔女宅、千と千尋ハウル、ポニョ、君どう、トトロ)

対立する集団が争いをやめ平和的共存を予感させるとか、

ナウシカもののけ

戦争が終わるとか。

ハウル

宮崎駿は「入口よりも出口が少しだけ高い映画を作りたい」と書いている。

気持ちがよいだけでなく、見て元気が出るとか、救われるとか、気合いが入るようなエンディングを目指していることが分かる。

例外は紅の豚風立ちぬで、あれは宮崎駿の趣味を優先させた映画だから、多少おいてけぼりの人がいても監督がハッピーならいいのだ。

 

しかし「すずめ」は「みんな」を救済するハッピーエンドにはなり得ない。

 

現実に地震で大きな犠牲が出ている。フィクションとはいえ震災をメインテーマにして「めでたしめでたし」になるはずがない。町の人たちを救った「君の名は」とは違う。

 

映画の中で、すずめと草太は何度も地震を食い止めているんだけど、それもただの先送りである。いずれどこかで地震は発生する。地震は全て食い止めました的なラストはありえない。

 

だから「すずめ」のエンディングはあくまですずめの個人的なハッピーエンドである。(すずめと草太、すずめと過去、すずめと環さん)

 

すずめ以外の人の、過去の震災が癒えたわけではない。そして今後も震災は起こる。

 

現実世界では、目覚めてしまったみみず君を「お返しする」ことで地震を抑えることはできない。圧倒的に理不尽な災害が、どこでも、いつでも起こりえる。震災で家族を失う人は、これからも必ず出てくる。

 

何も終わってないのだ。

 

「君の名は」を見た後の爽快さと比べるとね。

 

リアルの災害を監督があえて主題として選んだ(選ばざるを得なかった)ことは理解できると思う。3・11、熊本、能登を見て「これはどういうことなんだ。どう落とし前をつけるんだ」と、どうにもならないと分かっていても、どうにかならなかったのか、どうしたらいいんだ、と思ってしまうのが人間だからだ。

とはいえ、エンタメにはちょっと荷が大きすぎるんだよな。

 

本当によくできた、素晴らしい映画で、気持ちのよいエンディングなんだけど、何かが喉に引っかかったような感覚も残ったのだ。

 

期待していたからこそ、すごく面白かったからこそ、思わずいろいろと考えて、ブログに書いてしまった。『邪神ちゃんドロップキック』のことを一生懸命考えたりしないからね。

 

次回作も楽しみだ。次こそ映画館で見よう。

 

さて、2周目はせっかくだからNetflixで英語でみよう。英語吹き替えは女性の声が低めで聞きやすいんだよな。もちろんジャ(略

 

ホットクックで盛大に吹きこぼれ

最初に書いておくが、100%僕のせいである。

 

動機

さつまいも調理に問題意識があった。

 

ふかし芋は、外れ芋の時は美味しくない。

 

甘煮にすれば味は安定するが、砂糖がもったいないので大めの作り置きは気が引ける。

 

では、ポリ袋に砂糖と少量の水、薄口醤油を入れて味をつけ、湯煎で蒸したらいいのではないか。

トンチンカンな発想とも思えない。やってみよう。

 

結果

 

ポリ袋はホットクックの鍋いっぱいに広がり、湯煎の水を半分以上押し出して、底の排水穴から水があふれていた。

 

なぜ?どういうことだ?さつまいもは加熱するとガスが出るとか??そんなの聞いたことない。

 

そういえば、しゅーしゅーする音も普段より大きかった。

床は大洪水である。体感では1リットルの水をぶちまけた感じ。

 

やり場のない怒りと後悔で唸りながら床を拭きまわったのである。

 

芋はうまい

 

どうやらホットクックは多少の吹きこぼれを想定した設計になっているようで壊れた様子はない。助かった。

#多少どころではないか

 

こぼれたのがほぼ水だったのも不幸中の幸いだった。ホットクックの見た目は無事。全体を水拭きしたので却ってキレイになったほどだ。(よかった探し

 

今文章を書いて気がついた。

袋が強烈に膨らむということは、水蒸気だよね。ポリ袋の中の水が沸騰したということだ。湯煎だからそんなはずはないと思っていたが、鍋に触れた部分が熱せられたのだろう。

 

ホットクックでは、低温調理以外ではポリ袋調理をしてはならない。という教訓をえたのである。

 

あー。

 

今見たらマニュアルにあったよ。

一応読んだはずだけど、ちゃんと理解してなかった。いやはや。こういうことか。

 

 

6km?散歩

今週も10km散歩に出かけようとしたが、珍しく気が進まなかった。

 

週末、久しぶりに仕事でバタバタしたので疲れていたのだろう。素直に距離を縮めることにした。なので6kmである。

 

 

歩きながら久しぶりに嫌なことを考えた。

疲れが溜まっていたからだろうか。

 

竹中平蔵。うわ〜。

氷河期世代の天敵。

労働規制緩和により、中間層の収入を押し下げ、間接的に少子化を進めた。

つまり日本の衰退を後押しした亡国の政商である(怒

 

イライラと歩いているうちに冷静になる。「日本を破壊した極悪人」は大袈裟かな。バブル崩壊後の日本にはすでに衰退の流れはあったのだろう。彼はそれを後押ししただけだ。時間を早めたのか苛烈にしたのか。

 

労働規制緩和も、企業からすればありがたい施策である。救われた中小企業も多いだろう。

 

ターャジス

 

「労働規制緩和によって救われただと?社員にまともな給与も払えないってことだろ?そんな会社はさっさと潰れて撤退していただいてよろし」

 

などと頭に血がのぼって脊髄反射の意見を言ったらば、竹中の思う壺である。

「弱い企業はどんどん潰れてくれろ」みたいな施策が通るはずがない。

竹中センセイの主張の方は、中小企業と雇用の延命は図れるから、よほど穏健で現実的だ、ということになる。

 

 

時系列でみれば小泉竹中改革から日本の衰退が始まったのは間違いないにせよ「だったら他にどうすればよかったのか」というシナリオを今描くことも難しい気がする。

 

何か別の手はなかったのか。

当時竹中に反対する学者や経済評論家も多かった気がする。彼らを後押しできなかったのか。

 

 

このタイミングで労働規制を緩和したら、これから就職する氷河期世代の若者に皺寄せが来る。すでに少子化は進んでいる。氷河期世代は人口ボリュームゾーン団塊ジュニアで、彼・彼女らが安定した家庭を持ち、子供を育てなければ、日本の人口はどんどん減っていく

 

などと、今振り返れば当然の結果を、誰も予想していなかったか、した人がいてもまともに取り上げられなかった。

 

政府の統計やら外国の経済指標やら経済理論を駆使して就職氷河期の若者たちを追い詰めた竹中平蔵にとっては、人口動態などどうでもよかったようだ。

 

 

結局、何ともならなかったよな。未来が見えるわけじゃないし。

 

ひょっとしたら労働規制の緩和は(大・中企業を支持基盤に持つ)自民党の既定路線で、竹中は事後に理論的にサポートしただけ。ということもありえる。可能性として。

 

せめて、今後は竹中平蔵のようなセンセイに言いくるめられないようにしたいものだ。

 

そう思って竹中を見ると、学ぶことは多い。

 

 

まず、彼はめちゃくちゃ頭がよい。(しれっとパソナ天下りしたことや、人の神経を逆撫でする発言を見れば、彼の頭が働くエリアは限定されているようだが)

 

いろんな数字、統計と(自分に都合のよい)経済理論が頭に入っていて、その場で即座に自己を正当化できる。自分の提言をもっともらしく飾り立てる。テレビでは決してボロを出さない。

 

素人にはもちろん、専門家だって太刀打ちできないだろう。

彼の土俵に立ったら、絶対に言いくるめられる。

 

 

「どうせ詭弁だ」くらいに思っておけばよい。

何をしようとしているかを見ればよい。

 

彼の場合は労働規制の緩和だった。

多くの若者が、短期契約、時給制の派遣社員になったら日本はどうなる?

そこをちゃんと考えるべきだったんだろうね。

でもまあ、わからないよな。

年越し派遣村」なんてのがあって「あれ?これって、ひょっとしてやばい?」。と思った時にはもう手遅れだ。

 

遅ればせでも、ちゃんと評価するのが大事なんだと思う。

 

 

最近怪しいのは《労働生産性》ってやつだ。

 

「日本の労働生産性がー」という枕詞からさかしらにコメントする論客やセンセイをみたら、まずは眉に唾をつけて「こいつは何を企んでいるのだ?」と疑った方がよさそうだ。

 

僕は政治や経済には興味がないし、もちろん詳しくもない。できればそんなこと考えたくもない。あれもこれも分からないまま、考えるのもしんどいことだ。

 

それでも考えるのは、ウン十年前の小泉・竹中改革に関心を持たなかったことを、今になって少し後悔しているからだ。

もう、みすみす騙されたくはないからね。

 

 

いやいや、どうかしてる。

 

竹中平蔵のことを考えるとは、よほど疲れていたのか。

 

でもまあ、少しは落とし前がついたような気がしたので、よかった。

 

これも散歩の効能だ。なんて考えながら歩く。

 

 

新青梅街道沿いは、意外と店が多く、生活感も少しはあって飽きない。

 

時間によってはそれなりに混む道路だ。

でもこの日は空いていて、車も気にならない。

 

 

南長崎あたり。

 

そういえばどうして豊島区「長崎」なんだ?と今更ながら思って調べてみる。Wikipediaによると人名由来という説だ。なるほど。

 

 

南長崎から西池袋は住宅街の路地。

 

アスファルトが整備されていてゴミがない。

 

入り組んだ路地なのに生活感がない。

 

 

ここは少しだけ生活感があった。

 

次の写真。

 

よくできた像?作り物?だな。と思って近寄ったら睨まれた。

思わず声が出た。

 

 

画像検索したら「ハリスホーク」だって。

 

猛禽類の中では飼いやすいんだそうだ。

知らなかった。世の中は広いのだ。

 

(子供がちょっかい出したら噛むか引っかくかしそうだけど、大丈夫なのかな?)

 

 

 

閑静な住宅地を抜けて

 

 

西武グループ本社ビルへ。

 

 

調べてみたらトータル8kmくらいは歩いたようだ。

 

竹中平蔵が燃料になってくれたのかもね。

 

実は池袋に向かった理由は、草餅が食べたかったから。

 

 

うまい草餅が食べたくて西武のデパ地下で買ってみたんだけど、どうも僕にはお上品すぎたようだ。コレジャナイヨ・・・と思ってしまった。

 

子供の頃の餅つきで、おはぎくらいに柔らかくなったところに、ばあちゃんが土手で摘んできたよもぎを臼に放り込んで、じいちゃんと父ちゃんと僕と交互に搗くとみるみる緑色になった。そのつきたての餅を口に入れると、爽やかな香りが鼻を抜けたものだ。

 

青臭さの中にわりと強く主張する苦味が残り、まるで何気なくそのへんの草を口に入れたようで、その後を追う甘いあんことの調和が絶妙だった。少し繊維がトゲトゲするのが見える餅を噛んだ後や、餅つきの雰囲気も含めて、楽しく美味しかった記憶だ。

 

東京には、そんな草餅を食べさせる店はないんだな、という気がした。

 

 

アニメ・映画

上の子が独立。

下の子はバイトやら遊びやらで帰ってこない。

妻が帰宅するのは7時以降。

 

ずっと家で一人だ。

リモートワークを終えて一人で夕食を作り、そのまま一人で夕食を取ることが多い。

アニメや映画を見るのはそういう時だ。

 

ストーリーを追う必要のないアニメはKindle HDで調理中にちらちらと。

食事中はストーリーものを追う。

 

おっさんが一人で酒を飲みながら、自分が作った料理をつつき、アニメだの映画だのをニヤニヤと見ている。

 

実に侘しい光景である。でも当人が寂しかったのは最初のうちだけで、それなりに楽しく過ごしている。人は慣れるものなのだ。

 

映画

ウディ・アレン「マンハッタン」

洒落たセリフ回しの洒落た映画だと思って見始めた。

主人公のウディ・アレンが16,7歳の女の子を愛人にするあたりでフィクションとはいえマジかやべぇと思う。

さえない主人公である。ウディ・アレンだから、見た目は掛け値なくさえない。このさえない男が、モテない体(てい)で振る舞いながら、何のかんのいって女にモテる。

さえないおっさんが何のかんのモテたり女子高生が寄ってくるのはアニメの日常だけど、実写でやられると正直引く。

ウディアレンは当時43歳くらいか。昔の43歳の外見は、今ではアラフィフでも通用する。しかもしょぼい。それが16, 7の子とベッドインだ。これはまずい。条例にひっかかるぞ。後半すっ飛ばしてラストを確認、やっぱ無理。となった。

女の子を育てたからかもね。

 



タルコフスキーノスタルジア

どのカットも本当に美しい。

GRの「ブリーチバイパス」はタルコフスキーから来たのか。と思った。一般的?な現象技法だからタルコフスキーオリジナルじゃないだろうが、効果的に使われている。構図、背景、映像どれも印象的だ。

それ以外はどうも・・・。BGM環境動画。退屈以前。引き込まれない。

何だか監督から「難しいっぽい映画を作ったので、心して見て、解釈するのだぞ」と偉そうに言われて「じゃあ取り組んでみるか」と見て(なんやこれ?いうて深いか?)と興醒めする感じ。

 

昔、確か高校生の時に同じ監督の「惑星ソラリス」を見て感心したことを覚えている。何が良かったのだろう。難解な映画を見たぞ、という単なる自己満足ではないか。

最近はこういうのは流行らないだろう。コンテンツが貴重だった時代、見たコンテンツ次第でマウントがとれた時代だから、需要があったのだ。

評判がよくて見てない映画はまだまだリストにある。腰を据えて退屈な映画に取り組む必要が、今はないのよ。

 

 

というわけで、最近選んだ映画は「とほほ」な感じだった。

 

アニメ

くだらないアニメ(けなしてない)を積極的に選んでいる。

地味でゲージツ的な映画に取り組むのはその反動かもしれない。

 

「お兄ちゃんはおしまい」

妹によって美少女に変身させられ、妹の妹になる兄の話。一体なんなんだよ(褒めてない

何のかんの2話も見た。脳みそが溶けそうだ。まあ面白い。

 

 

「邪神ちゃんドロップキック」

古代の悪魔や邪神を美少女化して現代でゆるい日常を送らせつつ、スプラッターや暴力要素を盛り込むというアニメ。

よく思いついたな。

よくこれで漫画を描けると思ったな。ってか描いたな。

よくアニメ化したな。

いちいち呆れる。

でもまあ面白い。

 

 

ダンジョン飯

ここ2、3回でシリアス展開に急転して驚いている。相変わらず面白い。

 

 

「僕のこころのヤバイやつ」

男子の妄想全開ど・ストレートのラブコメ

「見てる」と白状することすらちょっと恥ずかしくなる。逆におっさんが一人寂しく眺めるのに相応しいアニメかもしれない。

 

 

家で一人、いろんなアニメを見て理解した。

 

アニメの多くは、寂しいおっさんを慰めるために存在しているのだ、と。

 

なんだか、まずいことを「理解って」しまった気がする。