テレビでジャニーズが出るとチャンネルを変える。
かなり昔からの習慣だ。
「あ」(触発)
「あれはジャニーズだ」(認識)
「チャンネルを変えなきゃ」(判断)
ぽちっ(対応)
などと複数の工程を踏むわけではない。
「あ」(触発)と同時にチャンネルを変えている。
動機も意志もない。
パブロフの犬と同じである。
当たり前だが、ジャニーズの方々に個人的な恨みはないし、ファンの方々に思うところも何一つない。単なる後天的反射活動である。何卒ご理解のほど。
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というわけで「すずめの戸締り」の声優にジャニが採用されたと聞いた瞬間、映画館に行くというオプションが消えてしまった。
地上波放映かサブスク解禁されるなら見ざるを得ないよね、というスタンスで待っていた。
ようやく見られて嬉しい。
「すずめ」は「天気の子」を軽く越えてきた。
ロードムービーという構成がバッチリはまっている。
廃墟、椅子、みみずなど、仕掛けの一つ一つに気が利いている。
ストーリーが破綻せず、バランスよくまとまっている。伏線も回収される。
イメージの広がりも素晴らしい。新海監督だから当然のように映像も綺麗だ。
ジブリオマージュも楽しい。
いくらでも褒めるところがある。
監督が同世代なのでどうしても応援するし期待するからね。とにかくよかった。一安心だ。
あまりによくできたアニメなので、ここはもう少しアレだった方がと思ってしまうこともあるけれど、無粋なので書かない。いやアニメ本体ではないです。
細かいところはともかく、どうしても引っかかったのはエンディングである。
(以下、ネタバレ入ります)
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例えば、宮崎作品のエンディングはどれも「みんな」を巻き込んだハッピーエンディングである。
仲間みんながハッピーになるとか、
(ラピュタ、魔女宅、千と千尋、ハウル、ポニョ、君どう、トトロ)
対立する集団が争いをやめ平和的共存を予感させるとか、
戦争が終わるとか。
(ハウル)
宮崎駿は「入口よりも出口が少しだけ高い映画を作りたい」と書いている。
気持ちがよいだけでなく、見て元気が出るとか、救われるとか、気合いが入るようなエンディングを目指していることが分かる。
例外は紅の豚と風立ちぬで、あれは宮崎駿の趣味を優先させた映画だから、多少おいてけぼりの人がいても監督がハッピーならいいのだ。
しかし「すずめ」は「みんな」を救済するハッピーエンドにはなり得ない。
現実に地震で大きな犠牲が出ている。フィクションとはいえ震災をメインテーマにして「めでたしめでたし」になるはずがない。町の人たちを救った「君の名は」とは違う。
映画の中で、すずめと草太は何度も地震を食い止めているんだけど、それもただの先送りである。いずれどこかで地震は発生する。地震は全て食い止めました的なラストはありえない。
だから「すずめ」のエンディングはあくまですずめの個人的なハッピーエンドである。(すずめと草太、すずめと過去、すずめと環さん)
すずめ以外の人の、過去の震災が癒えたわけではない。そして今後も震災は起こる。
現実世界では、目覚めてしまったみみず君を「お返しする」ことで地震を抑えることはできない。圧倒的に理不尽な災害が、どこでも、いつでも起こりえる。震災で家族を失う人は、これからも必ず出てくる。
何も終わってないのだ。
「君の名は」を見た後の爽快さと比べるとね。
リアルの災害を監督があえて主題として選んだ(選ばざるを得なかった)ことは理解できると思う。3・11、熊本、能登を見て「これはどういうことなんだ。どう落とし前をつけるんだ」と、どうにもならないと分かっていても、どうにかならなかったのか、どうしたらいいんだ、と思ってしまうのが人間だからだ。
とはいえ、エンタメにはちょっと荷が大きすぎるんだよな。
本当によくできた、素晴らしい映画で、気持ちのよいエンディングなんだけど、何かが喉に引っかかったような感覚も残ったのだ。
期待していたからこそ、すごく面白かったからこそ、思わずいろいろと考えて、ブログに書いてしまった。『邪神ちゃんドロップキック』のことを一生懸命考えたりしないからね。
次回作も楽しみだ。次こそ映画館で見よう。
さて、2周目はせっかくだからNetflixで英語でみよう。英語吹き替えは女性の声が低めで聞きやすいんだよな。もちろんジャ(略