フィクションに触れないと暮らしに潤いがなくなる気がするので、積極的にアニメや映画、小説に取り組むようにしている。
映画
「グランド・ブタペスト・ホテル」。
以前に見た映画である。アマプラでお勧めされたので再視聴。やはり面白い。「面白かった。映像も綺麗だった。終わりもちょっと切なくていい」以上の感想が残らない。髪切ったらさっぱりした、くらいの映画。ウェス・アンダーソンは素晴らしい。
「バベットの晩餐会」。
美食と人生の映画である。「ポトフ 美食家と料理人」を見て思い出した。10年ほど前にNHK BSで見てその時は退屈としか思えなかった。アマプラにあったので再チャレンジ。
前見たよりも面白いと感じた。登場人物が老人ばかりなのだ。以前は感情移入できなかったのが、ちゃんと入り込めた。僕も年をとったからだろう。「ポトフ」よりもキャラの人生が描けている。料理も美味そうだ。「いい映画だな(ちょっと退屈だけど)」と思えた。改めて「ポトフ」は駄作じゃね?と思ってしまった。申し訳ないけど。
振り返って見ると新しい映画にチャレンジしてない。反省。
アニメ
「ダンジョン飯」。
面白い。マルシルってこれエルフじゃないだろ?耳とがってるだけだろ?などと突っ込みながら見る。皆キャラが立っていてよい。
「ポプテピピック」。
「ヘルシェイク矢野」回で爆笑してしまった。もう見るのやめようかと思った頃の「当たり回」である。いやこれを「当たり」といっていいのかな。
他「コミさんはコミュ障」「メイドインアビス」を5分10分とつまみ見る程度。
今年に入ってアニメ視聴も低調である。
本
ミラン・クンデラ「冗談」。
昨年逝去したクンデラ氏。30年ぶりに再読。面白い。複数の人生を濃く、しかもパラレルに描ける力量に感服。
ジョン・コナリー「失われたものたちの本」。
宮崎駿「君いき」の原作というには違い過ぎるが、別物ではない。「オマージュ」が近いか。個人的には「『君いき』はこれの変奏曲」という表現がしっくりくる。
「君いき」は脇に置いて、驚くほど優れたファンタジー小説だった。こんな良い本を知らなかったとは。世界は広く、僕の読書エリアは狭い。
「アオサギは鈴木だ、大叔父は高畑だ」などと当てはめるより、この本を読む方が「君いき」の理解が進むだろう。この「アオサギは鈴木」という解釈はむしろ視聴の邪魔である。「この映画と対峙した自分にとってアオサギとは何か」を考えるべきと思う。
幡野 広志 「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真 」。
フィクションじゃないけど挙げておく。
・気になったものをRAWでど真ん中で撮れ。
・構図はトリミングでなんとでもなる。
・明るさコントラストも調整すればいい。
と読んだ。
完全同意である。
大昔から日の丸構図は難しいとかN分割構図だの黄金比だのと写真講座本に必ず書かれている。
そういうもんかねと思いながらも「真ん中からずらしたらそれだけでいい写真になるんか?そんなわけないよな?」という少々の疑問があったのがようやく腹に落ちた。やっぱ構図関係ないやん。気に入ったものをRAWでど真ん中で撮る。あとで少々のレタッチ。これだぜ。僕の好きな画角が28mm-60mmあたりということもあるだろう(鑑賞する立場なら超広角だろうが超望遠だろうが良い写真は好きだ)。納得である。もっと早くこの言葉と出会いたかった。
まあ、昔はフィルムだったからトリミングといっても限度がある。ある程度は構図を工夫する必要性があったに違いない。今はWebにアップするならAPSどころかマイクロフォーサーズだって相当トリミングできる。後のトリミングに耐えるようにちょっと広めに撮影すればそれでいい。超広角だと話が違ってくるのは承知。
(冒頭の遺伝子云々の話は完全に蛇足だろう。なぜ冒頭に持ってくるのか。なんでもそうだが専門外のことには口を出さないのがBetterである)
川端康成「山の音」。
退屈だなあと思いながら読了。大して面白くないと感じたのは僕の問題で、繊細で味わいのある小説だと思う。和室や書斎で穏やかに対峙し、空気感とか世界観を構築しながら読む小説なのだろう。通勤途中に消費すべきではない。
他にも読んだが何か書けるほど印象に残ってなかったり途中で投げ出したり不愉快に思った本があったり。
2月はもう少し映画とアニメを消費しようと思う。