sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と作詞作曲(趣味)

「アリスとテレスのまぼろし工場」見てきた

かつてアニメがレベルの低いエンタメと見做されていた時代があった。もちろん今でもバカにする人はいるだろうが(そういう人はいつの時代もいる)、偏見そのまま「大のオトナがアニメなんか見て」と鼻で笑う世間的/一般的風潮があったのだ。少なくとも、僕が子供の頃には。

 

GR IIIx 上野

宮崎駿も昔の対談や著作で、世間一般ではアニメが下に見られており、アニメ好きな大人は偏っているという前提で、アニメはやはり子供のためのものだし、子供の喜ぶものを全力で作りたい旨を言っている。反骨精神の裏返しである。

 

それに対して、対談の相手(司馬遼太郎半藤一利養老孟司という壮々たる方々)が「アニメは面白いですよ。大人だって喜んで見てます。全く低級なものではありません」などと励ましている。お世辞ではなく、実際にこの方々はプライベートで宮﨑映画を鑑賞し楽しんでおられるとのこと。やはり面白いものは面白いのである。子供も大人も関係ないのだ。

 

GR IIIx 上野

そう。面白いものは面白い。大人だって子供なのだ。才能のある「子供=大人」が全力でアニメを作ったら、面白くないわけがない。

 

「アリスとテレスのまぼろし工場」を見て、そんなことを思った。

 

やはり、新海誠の「君の名は」と比較してしまう。

 

GR IIIx 上野

 

プロットの複雑さと整合性。
繊細な(イタイ)人間描写。
時間・空間の全体構成の奇怪さと美しさ。
全体の熱量。
「アリスと(略」側に、軍配が上がると感じた。
ラストへの展開、収束のさせ方、あえて回収せず残したラストの断片(=イラスト!)も見事だ。

 

しかし「君の名は」よりヒットしないだろうな、と映画を見た人は確信するであろう。

 

GR IIIx 上野

キャッチーじゃない。爽やかじゃない。生々しい。見てて恥ずかしい。イタイ描写もある。何度か心の中で身悶えしてしまう。(ラストで相当回収されるのだが、それでも)。

 

ちょっとした中学生生活の描写で、人によってはダメージを喰らうかもしれない。中学生を美化していない。リアルさがある。昔の教室の空気を思い出させる。

 

それでも見終わった後の余韻は格別だ。反芻するたびに、美しい構成だと思う。いわば3声のフーガのような映画である。今と、もう一つの世界と、その二つの世界両方に生きる通奏低音の。(ネタバレ自重

 

GR IIIx 上野

家族には「とても面白かったけど、ぜひ見に行くべきだ、とは言わないかな」と伝えた。

 

やっぱり少々恥ずかしい映画であって、家族から勧められるものではなかろう。行くなら勝手に見に行って「あー!」と身悶えし、ぼそっと「確かに面白かった」くらいでとどめて欲しい。

 

他人にはおすすめである。恥ずかしいとかなんとか、気にすることはない。後半は怒涛の展開で退屈はしない。なんといっても物語の構成が素晴らしい。

 

監督を調べてこの物語を言語化するのは容易である。しかし、それは野暮というものだ。あくまで映画総体をあるがまま受け取りたい。

 

作品を安易に言語化することは、作品のみならず自分自身をも貶める行為だと僕は思う。速やかに解釈して「なるほど、そういことね。分かった」で済ませるのは本当にもったいないことだ。言葉からこぼれ落ちるもの、すんなり腑に落ちないことほど大事である。何日も、いや何週間も温めて反芻するのが楽しいのではないか。その時がくれば自ずから形になる。承認欲求にまみれた他人の感想を真に受ける必要はない。BlogやらYoutubeに安直な解説が溢れているのは恥ずかしいことである。

 

なんだかもう一度見たくなってきたな。どうしよう。