ホットクックか年齢か
菜食主義に対してネガティブな印象を持っていた。
肉も野菜も魚も、いろんなものを食べるのが美味しくて体にいいのが当たり前でしょうが。菜食主義なんて頭でっかちの思い込み。「情報を食べてる」に違いない。不自然ですよ。栄養バランスが偏って体にもいいわけがない。身体を優先したらそんな発想は出てこないよ。
変わり肉じゃが。肉は豚。味付けは焼肉のタレ
ところがですね。
ホットクック使うようになって芋だの根菜だのを食べる量が増えてきたら、体が楽なんですわ。
胃腸の調子がいいし、お腹いっぱい食べてももたれない。
野菜中心のおかずが単純に嬉しい。なんなら外食で野菜中心の定食があれば、積極的に選ぶ。肉が一切れも入ってなくても全然問題ない。
たまに、なら。ね。
くらいに思うようになった。
変わり肉じゃが。肉は鶏。砂糖控えめでカレー粉たっぷり
ま、歳のせいなんですけどね。
肉とか脂が過ぎると、すぐもたれてしまう。
それだけの話だ。
それでも、菜食中心の食生活のメリットを、体で「理解って」しまった。何事も安易に否定してはいけない。
ノーマル肉じゃが
とはいえ、野菜ばっかりだとタンパク質が不足するはずだから、積極的に肉と魚を食べる所存であります。
魚は美味しい
鳥も美味しい
酒。根深い習慣=中毒性
4L焼酎、4L安ウィスキーなどアル中コースを経て、ここ最近は2.8L安ワイン。酒量は若い頃と比べると随分減ってきたが、平均より多い方だと思う。そして毎日飲む。
アラフォー過ぎたあたりから、酒が美味しくなくなり、あまり酔えなくなった。酔う前にお腹いっぱいになる。もたれはじめる。ちょっとぼーっとするだけで、たいして気分は良くならない。
それでも酒を飲む。惰性である。
おかしい。
普通に考えれば、この状況で飲むメリットがない。
合理的に考えれば、もう酒は飲まないほうがいい。
それでも飲んじゃうんだよな。「自由意志」って何だよ、という話である。
思うに、人間の意思決定には三つの要素が関係している。
- 身体
何か食べようと思ったけど、よくよく考えたら特に腹減ってないじゃん。食べるのよしとこうか。ってやつ。身体の主張は弱く、注意深く観察しないとわからない。 - 無意識の衝動、あるいは習慣
こいつが曲者で、非常に強力。やっかいだ。人間の行動は相当こいつらに支配されている。「気が付かないうちに」「ふと」やってしまう。しかも無意識の行動は、動機も結果もよくないことが多い。 - 理性・意識
口だけは立派な無能である。無意識の衝動に振り回されて、再三酷い目にあってから、何とか理性的に意思決定しようとするんだけど、それでもなかなか上手くいかない。理性的な意思決定が、常に正しいわけでもない。
先日、酒を飲むのは「さすがにもう、いい加減にしようぜ」と思った。頑張って酒を飲まずに過ごしてみた。以来3日飲んでない。半分アル中だから(自覚している)かなりの偉業である。
3日目は怪しかった。10km散歩の夕方である。今日くらいはビール飲んでもいいんじゃないか?と強烈な誘惑がかかった。身体にお伺いを立てたら、案外すんなりやり過ごせた。
酒をやめるのはやっぱり大変だ。あらゆる機会で無意識と習慣が「飲めよ」と命令し、意識の根幹を揺るがしにくる。
その度に「どうだろう?」と気が揺らぐ。
止めてくれるのは身体である。「いや、いらないね」。何とか、今のところ体に従うことができている。身体の声に真摯に耳を傾けることができるなら、これからも酒を控えることはできるだろう。そこがポイントだ。
酒を飲まないと、やっぱ体は楽だ。体が「そろそろ、飲んでもええよ」となるまで、我慢してみようと思う。冷蔵庫に350mlのビールが一本、冷えている。体がゴーサインを出してから飲むつもりだ。
完全に酒を辞めるつもりはない。美味しいお酒を、食中に少量楽しむ生活が目標である。4合で1,000円後半の純米吟醸や、一本3,000円前後のちょっといいウィスキーを、食中に少しだけ。安酒ガブガブ生活からの脱却を目指す。
10年吸ったタバコをやめた時よりも、よほど大変だよ。
コーヒー
アルコールほどではないが、少なくとも習慣性はある。
朝起きて、とりあえずコーヒー。飲んだら美味い。
カフェインが効いてくると、すこしテンションがあがる。
アルコールほどの害はない。
これを辞める必要があるのか?というと、普通は特に辞める必要はないんだけど、ちょっと胃もたれが続くので、一時的にストップしてみようかと。
今は緑茶に切り替えている。
緑茶とコーヒーではそこまでカフェイン量に違いはないはず。でも、少しだけ緑茶のほうが体が楽な気がする。
ダウナー系飲料というか、テンションは上がらないから、気合いが入らないのが玉に瑕だ。一息つくにはいいんだけど。
朝のコーヒーも緑茶も、美味しくいただける体調を維持したいものだ。