今週も10km散歩に出かけようとしたが、珍しく気が進まなかった。
週末、久しぶりに仕事でバタバタしたので疲れていたのだろう。素直に距離を縮めることにした。なので6kmである。
歩きながら久しぶりに嫌なことを考えた。
疲れが溜まっていたからだろうか。
竹中平蔵。うわ〜。
氷河期世代の天敵。
労働規制緩和により、中間層の収入を押し下げ、間接的に少子化を進めた。
つまり日本の衰退を後押しした亡国の政商である(怒
イライラと歩いているうちに冷静になる。「日本を破壊した極悪人」は大袈裟かな。バブル崩壊後の日本にはすでに衰退の流れはあったのだろう。彼はそれを後押ししただけだ。時間を早めたのか苛烈にしたのか。
労働規制緩和も、企業からすればありがたい施策である。救われた中小企業も多いだろう。
ターャジス
「労働規制緩和によって救われただと?社員にまともな給与も払えないってことだろ?そんな会社はさっさと潰れて撤退していただいてよろし」
などと頭に血がのぼって脊髄反射の意見を言ったらば、竹中の思う壺である。
「弱い企業はどんどん潰れてくれろ」みたいな施策が通るはずがない。
竹中センセイの主張の方は、中小企業と雇用の延命は図れるから、よほど穏健で現実的だ、ということになる。
時系列でみれば小泉竹中改革から日本の衰退が始まったのは間違いないにせよ「だったら他にどうすればよかったのか」というシナリオを今描くことも難しい気がする。
何か別の手はなかったのか。
当時竹中に反対する学者や経済評論家も多かった気がする。彼らを後押しできなかったのか。
「このタイミングで労働規制を緩和したら、これから就職する氷河期世代の若者に皺寄せが来る。すでに少子化は進んでいる。氷河期世代は人口ボリュームゾーンの団塊ジュニアで、彼・彼女らが安定した家庭を持ち、子供を育てなければ、日本の人口はどんどん減っていく」
などと、今振り返れば当然の結果を、誰も予想していなかったか、した人がいてもまともに取り上げられなかった。
政府の統計やら外国の経済指標やら経済理論を駆使して就職氷河期の若者たちを追い詰めた竹中平蔵にとっては、人口動態などどうでもよかったようだ。
結局、何ともならなかったよな。未来が見えるわけじゃないし。
ひょっとしたら労働規制の緩和は(大・中企業を支持基盤に持つ)自民党の既定路線で、竹中は事後に理論的にサポートしただけ。ということもありえる。可能性として。
せめて、今後は竹中平蔵のようなセンセイに言いくるめられないようにしたいものだ。
そう思って竹中を見ると、学ぶことは多い。
まず、彼はめちゃくちゃ頭がよい。(しれっとパソナに天下りしたことや、人の神経を逆撫でする発言を見れば、彼の頭が働くエリアは限定されているようだが)
いろんな数字、統計と(自分に都合のよい)経済理論が頭に入っていて、その場で即座に自己を正当化できる。自分の提言をもっともらしく飾り立てる。テレビでは決してボロを出さない。
素人にはもちろん、専門家だって太刀打ちできないだろう。
彼の土俵に立ったら、絶対に言いくるめられる。
「どうせ詭弁だ」くらいに思っておけばよい。
何をしようとしているかを見ればよい。
彼の場合は労働規制の緩和だった。
多くの若者が、短期契約、時給制の派遣社員になったら日本はどうなる?
そこをちゃんと考えるべきだったんだろうね。
でもまあ、わからないよな。
「年越し派遣村」なんてのがあって「あれ?これって、ひょっとしてやばい?」。と思った時にはもう手遅れだ。
遅ればせでも、ちゃんと評価するのが大事なんだと思う。
最近怪しいのは《労働生産性》ってやつだ。
「日本の労働生産性がー」という枕詞からさかしらにコメントする論客やセンセイをみたら、まずは眉に唾をつけて「こいつは何を企んでいるのだ?」と疑った方がよさそうだ。
僕は政治や経済には興味がないし、もちろん詳しくもない。できればそんなこと考えたくもない。あれもこれも分からないまま、考えるのもしんどいことだ。
それでも考えるのは、ウン十年前の小泉・竹中改革に関心を持たなかったことを、今になって少し後悔しているからだ。
もう、みすみす騙されたくはないからね。
いやいや、どうかしてる。
竹中平蔵のことを考えるとは、よほど疲れていたのか。
でもまあ、少しは落とし前がついたような気がしたので、よかった。
これも散歩の効能だ。なんて考えながら歩く。
新青梅街道沿いは、意外と店が多く、生活感も少しはあって飽きない。
時間によってはそれなりに混む道路だ。
でもこの日は空いていて、車も気にならない。
南長崎あたり。
そういえばどうして豊島区「長崎」なんだ?と今更ながら思って調べてみる。Wikipediaによると人名由来という説だ。なるほど。
南長崎から西池袋は住宅街の路地。
アスファルトが整備されていてゴミがない。
入り組んだ路地なのに生活感がない。
ここは少しだけ生活感があった。
次の写真。
よくできた像?作り物?だな。と思って近寄ったら睨まれた。
思わず声が出た。
画像検索したら「ハリスホーク」だって。
猛禽類の中では飼いやすいんだそうだ。
知らなかった。世の中は広いのだ。
(子供がちょっかい出したら噛むか引っかくかしそうだけど、大丈夫なのかな?)
閑静な住宅地を抜けて
西武グループ本社ビルへ。
調べてみたらトータル8kmくらいは歩いたようだ。
竹中平蔵が燃料になってくれたのかもね。
実は池袋に向かった理由は、草餅が食べたかったから。
うまい草餅が食べたくて西武のデパ地下で買ってみたんだけど、どうも僕にはお上品すぎたようだ。コレジャナイヨ・・・と思ってしまった。
子供の頃の餅つきで、おはぎくらいに柔らかくなったところに、ばあちゃんが土手で摘んできたよもぎを臼に放り込んで、じいちゃんと父ちゃんと僕と交互に搗くとみるみる緑色になった。そのつきたての餅を口に入れると、爽やかな香りが鼻を抜けたものだ。
青臭さの中にわりと強く主張する苦味が残り、まるで何気なくそのへんの草を口に入れたようで、その後を追う甘いあんことの調和が絶妙だった。少し繊維がトゲトゲするのが見える餅を噛んだ後や、餅つきの雰囲気も含めて、楽しく美味しかった記憶だ。
東京には、そんな草餅を食べさせる店はないんだな、という気がした。