上の子が独立。
下の子はバイトやら遊びやらで帰ってこない。
妻が帰宅するのは7時以降。
ずっと家で一人だ。
リモートワークを終えて一人で夕食を作り、そのまま一人で夕食を取ることが多い。
アニメや映画を見るのはそういう時だ。
ストーリーを追う必要のないアニメはKindle HDで調理中にちらちらと。
食事中はストーリーものを追う。
おっさんが一人で酒を飲みながら、自分が作った料理をつつき、アニメだの映画だのをニヤニヤと見ている。
実に侘しい光景である。でも当人が寂しかったのは最初のうちだけで、それなりに楽しく過ごしている。人は慣れるものなのだ。
映画
ウディ・アレン「マンハッタン」
洒落たセリフ回しの洒落た映画だと思って見始めた。
主人公のウディ・アレンが16,7歳の女の子を愛人にするあたりでフィクションとはいえマジかやべぇと思う。
さえない主人公である。ウディ・アレンだから、見た目は掛け値なくさえない。このさえない男が、モテない体(てい)で振る舞いながら、何のかんのいって女にモテる。
さえないおっさんが何のかんのモテたり女子高生が寄ってくるのはアニメの日常だけど、実写でやられると正直引く。
ウディアレンは当時43歳くらいか。昔の43歳の外見は、今ではアラフィフでも通用する。しかもしょぼい。それが16, 7の子とベッドインだ。これはまずい。条例にひっかかるぞ。後半すっ飛ばしてラストを確認、やっぱ無理。となった。
女の子を育てたからかもね。
どのカットも本当に美しい。
GRの「ブリーチバイパス」はタルコフスキーから来たのか。と思った。一般的?な現象技法だからタルコフスキーオリジナルじゃないだろうが、効果的に使われている。構図、背景、映像どれも印象的だ。
それ以外はどうも・・・。BGM環境動画。退屈以前。引き込まれない。
何だか監督から「難しいっぽい映画を作ったので、心して見て、解釈するのだぞ」と偉そうに言われて「じゃあ取り組んでみるか」と見て(なんやこれ?いうて深いか?)と興醒めする感じ。
昔、確か高校生の時に同じ監督の「惑星ソラリス」を見て感心したことを覚えている。何が良かったのだろう。難解な映画を見たぞ、という単なる自己満足ではないか。
最近はこういうのは流行らないだろう。コンテンツが貴重だった時代、見たコンテンツ次第でマウントがとれた時代だから、需要があったのだ。
評判がよくて見てない映画はまだまだリストにある。腰を据えて退屈な映画に取り組む必要が、今はないのよ。
というわけで、最近選んだ映画は「とほほ」な感じだった。
アニメ
くだらないアニメ(けなしてない)を積極的に選んでいる。
地味でゲージツ的な映画に取り組むのはその反動かもしれない。
「お兄ちゃんはおしまい」
妹によって美少女に変身させられ、妹の妹になる兄の話。一体なんなんだよ(褒めてない
何のかんの2話も見た。脳みそが溶けそうだ。まあ面白い。
「邪神ちゃんドロップキック」
古代の悪魔や邪神を美少女化して現代でゆるい日常を送らせつつ、スプラッターや暴力要素を盛り込むというアニメ。
よく思いついたな。
よくこれで漫画を描けると思ったな。ってか描いたな。
よくアニメ化したな。
いちいち呆れる。
でもまあ面白い。
「ダンジョン飯」
ここ2、3回でシリアス展開に急転して驚いている。相変わらず面白い。
「僕のこころのヤバイやつ」
男子の妄想全開ど・ストレートのラブコメ。
「見てる」と白状することすらちょっと恥ずかしくなる。逆におっさんが一人寂しく眺めるのに相応しいアニメかもしれない。
家で一人、いろんなアニメを見て理解した。
アニメの多くは、寂しいおっさんを慰めるために存在しているのだ、と。
なんだか、まずいことを「理解って」しまった気がする。