sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と作詞作曲(趣味)

ワンパターンということ

少しアニメ鑑賞ペースが落ちてきた。まあとにかく、数が多すぎる。来年もまた多くのアニメがリリースされるらしい。僕のNetflixホーム画面には1、2話だけ見て後回しにしているアニメ、まだ見てないアニメのアイコンがずらり。追いつける気がしない。

 

 

結構なことだが、気になることもある。これほど潤沢にコンテンツが供給されているのに、僕が課金しているのはNetflixのサブスクのみ。しかも家族共有である。コミックもグッズもまず買わないし、アニメ映画にもたまにしか行かない。業界の努力と一部の高課金ユーザーにほとんどフリーライドしていることになる。

 

アニメーターの方々は激務薄給だと聞く。よくないと思う。確か宮崎駿が70年代か80年代に、すでに「アニメーターは薄給にもかかわらずアニメは供給過剰だ。このままでは現場が疲弊するだけで質の高い作品も出せない」と警鐘を鳴らしていた(彼が手塚治虫に手厳しいのは手塚が結果的にアニメを「安かろう悪かろう」の業界にしてしまったからという認識だ)。今は技術の進歩と優秀な人材のおかげか、昔(大昔)よりもレベルの高いアニメが多い。ありがたいことである。とはいえ何かと厳しい業界らしい。現場を知らない消費者が、安易に物申せるわけもない。心配しつつアニメを楽しむ他はない。

 

それはさておき。(僕が悩んでも仕方ないのだ

 

 

アニメの数をこなしていくと、どの作品からも何らかの共通パターンを読み取ってしまう。これはもう、人間の脳のクセであって、無意識に対象を言語化&抽象化してしまうのだ。その上で比較するから、どうしても「これはあれと同じパターンだな」という判断になる。この「同じ」を好んで見出すのも脳のクセだ。(養老孟司の受け売り)

 

これに歯止めを掛けないと、行き着く先は「どれもこれも全部、同じやんけ」である。コンテンツの全否定である。そのジャンル全体が詰まらなくなって、鑑賞したいと思う気持ちが消える。

 

ビジネスの世界では、この言語化・抽象化能力は出世に不可欠だが、この能力が高いと逆に世の中が面白くなくなる可能性がある。双刃の剣である。大企業で出世する人が、プライベートの趣味で充実するのは難しいとも言えるだろう。よくできているというべきか。そら当然だろう、というべきか。

 

また話がズレた。

 

 

とにかく、アニメを見てると、どうしてもワンパターンだなと感じてしまうことが多い。少年ジャンプ格闘系。ラブコメ系。転生系。何かしらの共通パターンがある。しかし、そこで「またこのパターンだ。やれやれ」と肩をすくめてはいけない。「おお。そのパターン、この定型キャラ配置で来たか。さて、それをどう料理してくれるのかな?」と楽しむのが正義である。「スターウォーズ」を見て「ギリシャ神話のオイディプスのパクリじゃねーか」と腐すのはバカバカしいことだ。

 

同じ素材でも、料理の仕方によって全く別の作品が出来上がる。12個の音階を元にクラシック、ジャズ、ロック、ポップスを作ることができる。事実上無限の組み合わせがあるということは、無限のコンテンツがあり得る。楽しまないと損である。

 

 

「どれも同じ」と思っていたら、たまに「違う」コンテンツが出るのも楽しい。個々の素材は別に斬新ではないのに、なぜか「違う」作品がある。具体的に何がどう違うのか書くのは難しい。言語化すると他と「同じ」に寄ってしまうからだ。「進撃の巨人」「ドロヘドロ」「メイドインアビス」辺りは「一味違う」と感じられる。「葬送のフリーレン」はRPGトールキン的世界観を踏まえつつも時代を少しずらすアイデアがよい。もちろん、古典的なパーツと構成を使って上質の作品に仕上げたアニメ(「鬼滅」「チェーンソーマン」など)はいくらでもある。

 

「またこのパターンか」と感じるのは仕方ないとして、そこでシラけてしまうと世の中がどんどん詰まらなくなるだけだ。敢えて楽しむという選択も可能である。いや、むしろ意識的に敢えて楽しんでいくべきなのである。