sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と作詞作曲(趣味)

悪口を書いてはいけない&アニメ鑑賞日記

うっかり先日のブログにヒョーロン家(テキトーなことを書く評論家)の悪口を書いてしまった。

 

 

思春期の頃から一貫してヒョーロン家を嫌ってきた僕だが(筒井康隆の影響だ)、いざ悪口を書いてみると後味は悪い。書くべきじゃなかったなと思う。いっそ消そうとも思うが、踏ん切りがつかないまま残している。

 

悪口といえばひろ○きとかホリ○モンを念頭に草稿を書いたこともある。一応仕上げたけれど、ずいぶん時間と体力がかかった。こみ上げる不愉快さを抑えて冷静にロジカルに書こうとしたり、感情的な表現を訂正したりと無駄に疲労した。嫌いな人のことを書いているから読み返すのも不愉快だ。結局お蔵入り。何のことはない。単なる時間の無駄である。未練がましく下書きに保存しているが、日の目を見ることはないだろう。悪口を書いてして楽しめないということは、悪口を書く才能がないということ。むしろ感謝すべきかもしれない。

 

 

アラフィフになってアニメに取り組み始めてから、その思いを確かにする。人の作ったものを安易に腐してはいけない。自分が吐いた悪口は記憶に残りながら自らを傷つける。世界も自分もつまらなくなる。精神が鈍感に、傲慢になっていく。悪口は自分に向けられた呪いである。(これまで韓ドラをバカにしてごめんなさいなのだ

 

なるべく選り好みせずアニメを見るし、違和感があっても一旦脇に置いて「よかった」を探しながらアニメをみる。面白かったことを積極的に言語化して、気に入らなかったことは注意深く言語化を避ける。健全である。

 

 

「アンデッド・アンラック」

設定、展開、その他もろもろ最初に強い違和感を感じてしまった(おバカ格闘少年マンガ)。これまでの僕だったら1話の半分で見るのを諦めただろう。というかそもそも見なかっただろう。しかし「よかった」探し視聴法により1話終える頃には「そうはならんやろww」「何やその展開ww」と楽しんでいた。鬼滅や夏目友人帳などの合間にちまちまと見ている。

 

夏目友人帳

なぜだか残虐シーンや痛い格闘シーンの多いアニメに食指が動く。単純に刺激が強いから中毒性があるのだろうか。見ていてしんどいなと思いながら毎日見てしまう。

しかし「夏目友人帳」は違う。「あやかし」(妖怪)と主人公の交流が良い。ゆるく切ない雰囲気が良い。たまにある格闘シーンはかなりおざなりで、強さ比べも戦闘力エスカレーションも必殺技もない。だが、それが良い。しみじみ見ていられる。Netflixは12月2日に配信終了。一日2、3話見ればこなせそうだ。カウントダウンしながらアニメを消費するのもいかがなものか、と思いながらせわしなく見ている。

 

鬼滅の刃

ようやく刀鍛冶編まで終えた。よく出来たアニメだが残虐なシーンが多い。主人公も柱(そういうのがあるのです)もいつも酷い目にあっている。時として死ぬ。寝る前に見ると夜中にうなされるので、夜の早い時間に鑑賞しなければならない。しんどいアニメなのに大ヒットしたのは登場人物の魅力だろう。炭治郎は地味でまっすぐないい奴で、それはそれで結構なのだが、他のキャラの方がよほど目立つ。柱や鬼の存在感だけではなく、ほとんどの脇役がキャラ立ちしているのは特筆だろう。すごい才能である。

 

「泣きたい私は猫をかぶる」

「アリスとテレス」の岡田麿里脚本。よく出来ている。密度が高く、セリフが濃い。見ていて恥ずかしい(褒めてる)。少しずつ見ている。

 

 

趣味の作詞作曲にもよい影響がある。馬鹿馬鹿しいと一瞬でも思ったら創作はできない。ふと沸いた小さなイメージにすがりついて「ぐぬぬ!」と反復し差異を生み出すのが創作だ。上から目線では絶対にダメだ。アニメを見ていると作家さんもアニメ関係者の方々も頑張ってるな、と力をもらえる。趣味の範囲を出なくても創作ができることを幸せだと思える。