「葬送のフリーレン」というアニメについて、比較的高齢と思しき男性たちが真面目に感想を述べ合っているのをTogetterで見た。そうか。最近はいい歳のおっさんが普通にアニメを見ているのだ。いや、普通なのか?いや、まあ、どうでもいいか。
しかもフリーレン(魔法オタクの美少女エルフ)やハイター(老僧侶)などに自分自身を色濃く投影し、あーでもない、こーでもない、その通りだ、いやそれは違うぞ、と熱く意見交換している。
その観点はなかった。雰囲気がいいね。なんてぼーっと見ていた僕の見方など実に「浅い」。
それにしても、アラフォー、アラフィフの男が、自身を美少女エルフに投影できるのか。すげーな。おい。老僧侶はともかく美少女エルフかよ。
これまで見たアニメを振り返ると、僕の場合、美少女キャラへ自己を投影したことはなさそうだ。無意識にリミッターがかかるのだろう。比較的すんなり感情移入できたのは「ドロヘドロ」のカイマンとか「チェーンソーマン」のアキか。いずれも分かりやすい少年ジャンプ的キャラである。
とはいえ思い返せば「スキップとローファー」(先日12話見終えた。いいアニメだった)では、ちゃんとミツミに感情移入できた気もする。「美少女」ではないのがポイントか。そういえばこのアニメには「萌え」の対象となるような「美少女」キャラがいない。出る余地がない。
「ぼっちざろっく」を感情移入せずぼーっと見ていたが、あれはちゃんと自己投影しながら見るべき作品だったのかも知れぬ。「ゆるキャン」(見てない)等「おっさんの趣味を美少女にさせてみました」創作物は「生まれ変わったら美少女JKになってハッピーな学園生活を送りたいにゃ」というおっさんの願望を受けたものなのか。いやそもそも、世のおっさんにそんな願望があるのか。
「冴えない(あるいは別のことに一途な)主人公に、密かに想いをよせる美少女」という設定がある。というかこの設定がはまらない少年漫画が珍しいくらいか。これならまあ理解できるが、おっさんの美少女化とはどういうことだろう。
...(長考)...
理解できなくても良さそうだな。これ。
少なくとも、あらかじめ「美少女キャラには自己投影無理だな」と決めつけるのではなく、アニメの「美少女」とはおっさんがそういうものとして措定した「美少女」に過ぎないがゆえに「美少女」=「おっさん」とみなす余地があること、ゆえに「おっさんの美少女化」もあながち荒唐無稽な話ではない、と理解すべきだろう。夢の女性とか理想の女性の出どこはどこだ?という話である。よく分からなくなってきたが、人に迷惑をかけるわけじゃないんだから、好きに見たらよいのである。