日本の音大には絶対音感を持つ人が多いが、イギリスの音大にはほぼいない旨。
「私の知り合いはみんなー」みたいな小並感ではなく、実際そういう客観的な調査結果もあるとのこと。
僕は絶対音感を持っているが、はっきり言って、役に立ったことはない。というか、むしろ邪魔である。そう。「邪魔」というのが一番しっくりくる。
音楽以外の生活ではもちろん、ジャズのアドリブでも、作曲でもむしろ邪魔である。
歳をとると絶対音感が弱まるというウワサがあり(Adam NeelyかRick Beatoの動画で見た)楽しみにしているのだが、今のところ弱まらない。
なぜ絶対音感が邪魔なのか。
例えば「戦場のメリークリスマス」を演奏するとしよう。
キーはDbである。最初の印象的なイントロ1小節目は以下。
ファ bミ ファ bシ ファ bミ
ファ bミ ファ bシ ファ bミ
絶対音感を持っていると、このファとかbミが、ファとbミとしてありありと迫ってくる。ファとbミとしてしか聞こえないのである。
さて、相対音感の人にはどう聞こえる(はず)か。
まず音単体では何か分からないはずだ(相対音感の定義通り。
そのためキーを特定する必要がある。キーはDbである。Dbを1とすると、ファは3。bミは2、bシは5である。置き換えてみる。
323532
323532
となる。Cメジャー=ハ長調=ピアノ白鍵のドレミファソラシに当てはめるとミレミソミレミレミソミレになる。
相対音感の人は323532だかミレミソミレだか、実際の音ではなく相対的に聞きとることが可能だ。便宜的に「ファ bミ ファ bシ ファ bミ」と言語化したとしても、絶対音感の人のようなリアリティを持った「ファ」や「bミ」ではない。
絶対音感の人が、ありあり聞こえてくる「ファ」を、「ミ」や「3度上」とかに置き換えるのは難しい。どうしても抵抗がある。脳が「違う!」と拒否する。
一方、相対音感の人は、Dbをトニックとする文脈では「ファ」ではなく「ミ」として聞くのは難しくない。トニックから3番目だね、と相対的に把握しやすいはずだ。
この「音の相対化」が曲の解釈や理解に有利なのだ。覚えやすいし、何より転調が容易だ。323532と覚えてしまえば、CでもBbにでも容易に移調できる。
絶対音感の人が「ファ bミ ファ bシ ファ bミ」を転調しようとすると、一つ一つの音をそれぞれ等しくずらすが、あるいは一度「これはDbメジャーだから『ファ』が 3で『bミ』が2でエート」と翻訳する必要がある。
コードも同じ。絶対音感の人には「bソbシbレ」だが、相対音感なら「4からのトライアド」あるいは「ファラド」で済む。
絶対音感はbラは「bラ」としてリアルに現れてしまい、そうとしか聞こえない。
相対音感はbラは、Abメジャー(変イ長調)のコンテキストではトニックとして、Ebメジャー(変ホ長調)なら4度として、Dbメジャー(変ニ長調)なら5度として聞き取れてしまう。(これは本当に便利だ。羨ましい。
それがね。そうでもないんですよ。
確かに、ぽんと音が出た時に(例えば)「bシ!」と分かる。即座に分かる。1音を当てるだけなら相対音感の人より間違いなく段違いに早い。
ところが繰り返し聞ける耳コピとなると相対音感の人が有利なのよ。bシドレ!と個別の音で取るよりも、キーがBbで123!と取る方がよほど柔軟なのである。
即興でハモるのも相対音感の人が有利である。「ある音に三度重ねる」としよう。絶対音感を持っているとどうしてもワンテンポ遅れる。まずその「ある音」がありありと(例えば)「bミ」として聞こえてしまう。そこから頭で三度上は「ソ」だな、と考える。あれ?キーはなんだっけ「bソ」じゃなくて大丈夫?このタイムラグは即興演奏においては致命的である。
相対音感の人なら、白鍵のハ長調で聞き取っておけば、最小限のタイムラグで三度上の音が出てくるだろう。白鍵のみで演奏するようなものだ。短三度か長三度かの判断も速いだろう。
絶対音感の人はこの「とりあえず白鍵で演奏」ができない。
だったら絶対音感にメリットはないのか?
絶対音感の人は、踏切の音も車のクラクションも、全部和声で聞こえる、という話がある。でも、そんなことができても、創造性においてはなんのメリットもない。(ちなみに僕の音感はそこまではできない
強いて言えば、ひょっとしたら相対音感の人よりも、少しだけ音楽がカラフルに聞こえているかもしれない。転調をダイナミックに感じているかもしれない。とは思う。
だって、Bbメジャー(変ロ長調)、Bメジャー(ロ長調)、Cメジャー(ハ長調)、Dbメジャー(変ニ長調)をそのまま提示された時に、完全に別物として聞こえるのだから。(たまに混乱して分からなくなるが、その時の「俺は今どこにいるのだ?」という浮遊感も面白い)
確かに、相対音感の人は絶対音感の人よりも、曲の構造を把握したり曲を覚えることは効率的にできるはずだが、音一つ一つのカラフルさを感じて再現しようとすれば、絶対音感の人の方が有利かもしれない。
超一流の演奏家たちが絶対音感を持っていたかどうかは興味があるところだ。(グールドやポリーニに絶対音感がなかったとしたらもう絶対音感は完敗だ!)
まあ、それも完全に主観的なものだし、比較はできないから、なんとも言えないのだけど。
ちなみに、坂本龍一は最晩年まで絶対音感があったんじゃないか?と思う。
自然音を愛したエピソードもそうだが、上記アルバムは相対音感の人では作れないのでは?という気がするのだ。上手く言えないが「そうでなくてはならない音」をピンポイントで使っているような気がするのだ。
もちろん、根拠はない。根拠はないけれど、もしそうだとしたら、絶対音感を持っているのもそんなに悪くもないかな、と自分を慰めることができる。だったら、それでいいじゃん。絶対音感、万歳。