sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と作詞作曲(趣味)

頭の回転の速さが頭の良さではない

ちょっと前に"note"の記事で

村上春樹が大学に来た。勇んで会いに行ったら、なんだかぼーっとした感じで、ちょっと拍子抜けした」

といった文章を読んだ。

 

GR IIIx 亀戸

「そうだ村上さんに聞いてみよう」系の、読者とのやり取り本のように、機転の聞いた返しや面白い話が聞けると期待していたら、そうじゃなくてがっかりした旨である。

 

文章を書くことを生業としているなら、話し言葉も自在に操れるのでは?と考えたのかもしれないが、むしろ逆ではないかと僕は思う。当意即妙、気の利いた言葉を素早く話せる才能があれば、作家になろうなどとは思わないのではなかろうか。そうではないからこそ、一つの文章を何分、何時間もかけて推敲する作家になったのではないか。

 

GR IIIx 亀戸

実は僕も、若い頃に似たような違和感を覚えたことがある。筒井康隆が民放のバラエティ、確か「トリビアの泉」に出た時のことである。

 

筒井康隆といえば(今はほぼ話題にならないが)、ドタバタナンセンスSFというジャンルを切り開き、フロイトユングを語り、虚構船団といった比較的難解で実験的な文学を書き、また文学評論もするなど、文学界の「知の巨人」とまでは言えないまでも一目置かれる切れ者というイメージがあった。

 

ところが、テレビの筒井康隆は、お笑いタレント群とバラドル群の中でほとんど何も発言しなかった、いや、できなかったばかりか、その場のやり取りについていけてないような雰囲気すらあったのだ。

 

視聴率の高いバラエティ番組に出ている「芸能人」は、その場の雰囲気全体にアンテナを張り、ツッコミどころボケどころを見つけ、素早く面白いことを言わないと生き残れないという厳しい世界をサバイブしてきた人たちだ。あるテーマについて何時間も何日も考えて文章を推敲し、世に出す作家とは、知的活動の種類が(そして対象も)違うのだ。とその時僕は漠然と感じたのである。

 

GR IIIx 亀戸

では、テレビで面白いことを瞬時に話すバラドルやお笑い芸人と、筒井康隆のどちらが賢いのか。

 

あまり良いとは言えない問いな気がするな。議論を誘導してもしょうがない。

 

筒井康隆も一流のお笑い芸人も、賢さはそこまで変わらないだろう。お笑いのアドリブなら、もちろん芸人の方が上だ。しかし、少なくとも、バラドルやお笑い芸人で、文学評論の歴史を語れる人や、人を唸らせる実験的な長編小説を何冊も書ける人はいない。

 

GR IIIx 亀戸

確か、村上春樹も自身のエッセイで以下のようなことを幾度か書いていた。

・僕は日常的に出会った人をがっかりさせている。

・僕は第一印象で割と馬鹿にされる。

どうやら若い頃からそうだったということだ。だからまあ、結局そういうことなのだ。じっくりと文章に取り組む作家と話す機会があっても、彼(彼女)が気の利いたことを即座に思いついてペラペラ喋るようなことはないのである。

 

GR IIIx 亀戸

ここでWebである。

 

Webでは、慎重に考えて、文章を推敲し、数週間後に投稿された長文には、それが僕のような無名氏の文章だと、ほぼ誰も注目しない。

 

一方、脊髄反射の時事炎上ネタパフォーマーには根強い需要がある。(ひろゆきを見なくなったと思ったらホリエモンが復活してるよ。。。みたいな。他にも増田が炎上したりと、みんな炎上が大好きだね。

 

注目されないのはちょっと残念だが、炎上しないのは何よりである。「あーでもない、こーでもない」と長文を書いていると、自分でも最後に何が正しいのか分からなくなることも多い。あんまり簡単に白黒つけるもんじゃないよな。と反省することもできる。他の人にはどうか知らないが、長文を書くことには確かに当人にとってはメリットがある。

 

GR IIIx 亀戸