sakanatonikuの日記

料理、アニメ、映画鑑賞と作詞作曲(趣味)

趣味って何だ?から昭和の考察

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ピアノは違うんじゃないの?と思った。そんな安直な趣味ではないよ。それに赤の他人に勧められてピアノ始めて、生涯の趣味になるか?可能性はほぼ0だろう。

 

例えば、無趣味な父親や祖父に勧められるか?勧めたとしてやるだろうか?結局は本人が何とかするしかないのだ。

 

例えば家庭菜園を始めるとか。

 

(興醒めなことばかり書いてるから僕のブログは絶対にバズらない。

 

GR IIIx 新井薬師前

祖父も父も、働いている間は無趣味だった。それぞれ引退した後は、同じようにしばしの無聊をかこってから、同じように家庭菜園を始めた。

 

祖父が始めたのは40年ほど前で、父は10数年前だろうか(そして今に至る)。水やりだ虫退治だ何かとやることがあって、無事に成長すれば嬉しく、そして美味い。子供も孫も喜ぶ。同じく畑を作ってる近所の人とも会話ができる。実に有意義である。

 

祖父は大正生まれの仕事人間だった。

 

落ち着きがなく、ドシドシと家の中を歩き回ったり、自転車でその辺をうろうろしていた記憶がある。初期の「寅さん」映画に出てくるような自転車だ。金銭的にはルーズだったらしく、孫(僕だ)が生まれてからしばらくの間も、給料日前は借金などしていたそうだ。(この件で父母 vs 祖父母で大いに揉めたとのこと)

 

定年退職したら、居間で呆然とキセルをふかしながら、じっと動かなくなった。生気もなくなった。人が変わったようだった。耳も遠くなった。たまに帰省して話しかけても「ああ」とか「うん」とかしか返ってこなかった。このまま「ボケるんじゃないか」と皆で真剣に心配した。

 

そのうちに(※1)近所に猫の額ほどの畑を借りて、トマトやきゅうり、とうもろこしを作り始めた。家の周りに花の鉢を置いて水をやり、花も育てた。働いていたときのように毎日ドシドシと動き回った。夏休みに帰省した僕と一緒に銭湯に行き、僕が大学生になると嬉しそうにビールを注ぎ(成人前だww)、鰹のタタキを突いて、焼酎(雲海だ)を酔っ払うまで飲んでひっくり返っていた。ボケる気配はなくなった。と思ったら、また倒れて入院し、ころっと逝去した。

 

退職後の祖父は何を考えていたのだろうか。今思えば、ボケたというより鬱に近かったんじゃないかと思う。何も語ってはくれなかった。戦争中のことも、何も話さなかった。

 

当時、僕は「仕事以外の生きがいがないから、定年後に弱ったのだろう」と思っていた。畑いじりという趣味を見つけて復活したのだ。やはり趣味は大事なのだ、と。

 

あまりに表面的な理解だったかもしれない。と今になって思う。祖父の人生には戦争が大きく影響したはずだ。

 

戦争が終わり、就職して働いて子供を作って、焼け野原に家を建てて家具を揃えていたら、暇なぞあろうはずがない。仕事と子育てしかないはずだ。趣味どころではない。日曜にラジオを聞きながらビールを飲むくらいだ。その後で焼酎に切り替え、泥酔して寝る毎日だった。(週休二日制は存在しない時代だ)

 

戦後に生まれた父も、そんな祖父を見て育ったわけだ。(父は決して酔っ払わなかった。

 

GR IIIx 新井薬師前

父の世代は高度成長期からバブル期を経る。この時代には趣味とか教養が大事だとか、一億総評論家だとか(そんな言葉あったなあ)、めっちゃくちゃに働いて、めちゃくちゃに遊ぶ、みたいなことが是とされていたと記憶している。リアルな同時代の記憶ではなくテレビや雑誌、本からの記憶である。

 

全ては大正後期・昭和一桁世代へのアンチテーゼだったんだなと思う。めちゃくちゃに働いて遊びを知らない、ではカッコ悪いじゃないか、と。

 

父を見る限りは、上の世代に反発しながらも、どこか否定しきれずに、やはり仕事中心の生活を送ったようだ。戦後日本を建て直した昭和一桁の影響は強力だったということか。また、バブルの時は手のかかる子供(僕と妹)がいて、狂騒的雰囲気の中で夜遊びする年齢でもなかった。

 

そして今、父は野菜を作っている。

 

筒井康隆(1934年生)、養老孟司(1937年)、宮崎駿(1941年)、村上春樹(1949年)の発言を掘り起こすのも面白そうだが、そうなるともう手に負えないので諦める。(筒井は関西にいたせいかあまり戦争の匂いがしない。村上春樹も同じ理由か)

 

GR IIIx 新井薬師前

趣味って何だろうな、と改めて思う。

 

輪行して、カメラで撮影し、釣りをして、ピアノを弾き、作曲し、動画編集してYoutube投稿している僕だ。全て、鳴かず飛ばず。冷静に自分を見ると、何もそこまで。と思う。

 

無趣味だった祖父と父に追い立てられているようだ。

 

GR IIIx 新井薬師前

なぜ僕たち(ロスジェネ世代以降)がこれほど趣味を重視するのか。理由は明らかだ。

  1. 人生を仕事に捧げる、という考え方は受け入れがたい
  2. 同じ会社(共同体)で人生の大半を過ごすという選択肢も受け入れ難い。また、事実上その選択肢はもはや存在しない。
  3. 仕事を自らのアイデンティティにできない。

「会社の仕事」は「『本当に』自分がやりたいこと」ではない。会社では「本当の」人生を生きられない。自分には「本当にやりたいこと」があるはずで、それを趣味にすべきなのだ、と。

 

ロスジェネ世代(以降)が「趣味を何にしよう」と悩む裏には「本当の自分探し」という呪いが続いているのかもしれない。それは結局、養老孟司が言うように「らっきょの皮剥き」に過ぎないのかもしれない。

 

それでも色々「趣味」に手を出していると何か「芯」のようなものを感じることがある。

 

これは、本当に好きだな。とか、これは本当に楽しいな。とか。

 

今のところ「釣り」と「作曲」が僕の「本当」なのかもしれない。そんな気がしている。

 

と言いながら、結局は野菜作ってたりしてね。ありそうな話だ。

 

GR IIIx 新井薬師前

(※1)

再雇用制度か何かで仕事に復帰し、一時期は見違えるように元気になった。数年後、仕事場で倒れて今度こそ退職し、何がきっかけか知らないが畑弄りを始めたのである(同僚にでも勧められただろうか?)。朝に水をやったり畑を耕したり草取りをしたり、始終忙しそうにしていた。元気だった。出来たトマトやきゅうりは形が悪くて美味しかった。

祖父がキセルに詰めていたのは茶色いパッケージの「エコー」だった。強いタバコである。その後医者に脅されタバコは辞めた。酒は飲み続けた。

7、8年後だろうか。再び倒れ、入院した。徐々に元気になって、足腰を鍛えようと病院の階段を上り下りしていたが、退院前に病院のベッドで眠るように息を引き取った。74歳だった。