家庭における父親の存在は極めて希薄かつ脆弱である。
三億円事件以前の、給料が現金手渡しだったころは、父親はもう少し尊敬される存在だったそうだ。
今は毎日疲れた顔をして不機嫌に帰ってくる人であり、通帳の数字を月に一度増やすだけの人である。嗚呼。
4人家族のランキングにおいては最下位。
弟/妹 > 兄/姉 > 母 > 父
発言の重要度も同様に最下位である。
兄/姉 > 母 > 弟/妹 > 父
存在を鬱陶しがられ、発言は軽視される。
それが気に入らないからと言って高圧的に出れば事態は悪化するばかりだ。
弟/妹 > 兄/姉 > 母 >>>>> 父
最悪の場合は以下となる
弟/妹 > 兄/姉 > 母 |遮断壁| 父
弟/妹などは、兄/姉の忠告や指導は素直に聞くのに、母/父を無視するので腹が立つ。そういえば子供たちがHIKAKINのファンだった時は、僕の序列は確実にHIKAKIN以下であった。
弟・妹 > 兄・姉 > 母 > HIKAKIN > 父
子供たちはHIKAKINを尊敬し、彼の発言から人生を学んでいた。
残念ながら当然である。
子供の友達を知らない。子供の活動も知らない。たまに話を聞いてもすぐに忘れて「誰だっけ?」「前も行った?そうだっけ?」などと言ってるから、子供も父親の相手をするのが面倒くさくなる。
おやつを手配するのも母親。食事を作るのも母親。学校の行事を捌くのも母。子供の世界は母親だけで回っている。そこにHIKAKINがいれば申し分ない。父親は通帳の残高を増やす担当だ。
そういえば、車のCMはそんな寂しいお父ちゃんにアピールするものが多い。大自然に連れていってくれるお父ちゃん。すごい遊び方を知ってるお父ちゃん。車を買って子供と遊びに行こう!尊敬の眼差しが得られること請け合いだ!さあ、買え。車を。
そうか、分かった、と車を買って「いざ!お父さんと大自然と戯れよう!」ったって女の子はついてこない。男の子もすぐに飽きる。上手くいかないのだ。
コロナ禍で始まったリモートワーク。
通勤時間が減少し、ピアノの練習時間が増えた。個人的にも大きなメリットがあった。
生活も変わる。
妻はエッセンシャル・ワーカーで昼は家にいない。自粛自粛で子供が家にいる時間も長い。
せっかくなので朝に洗濯をする。自分の昼飯のついでに子供の分も作る。買い物に行っておやつやアイスを買って子供に与える。居間で仕事をしているから、子供の見ているテレビやYoutubeが目に入る。子供と共通の話題ができる。コーヒーも一緒に飲む。子供の希望を聞いて夕食も作る。
子供との接点が、かなり増えた。
もちろん、怒ったり説教したりでうざがられる時間も増えたし、くだらないことで喧嘩してお互い不機嫌に過ごす時間も増えた。
逆にいえば、子供と腹を割って真剣に対話する関係ができたということだ。
それに伴って、僕の家庭内の序列が上がったと感じた。
いや、序列が上がった、は正しくない。家族の関係はランキングではなかった。
これまで僕は「家族ではあるが主に夕方に疲れて帰ってくる人で、どちらかといえば部外者」だった(酷い話だな)。
それが「家庭の維持メンテナンスをしながら家で仕事している人」となった。明らかに格上げであった。
怖い顔をしながらパタパタとキーボードを打っていたり、時に偉そうに、時に情けないほど恐縮してTeamsで発言したり、そんな父親を見て仕事の全容がわかるはずもないが、それでも「サラリーマンというのは、なんとなくこういうものか」と、子供たちなりに何かを理解するらしい。
「会社という組織の一員となり、組織の末端の一部を担って給料をもらう」という世のサラリーパーソン(多くのお父さん)の生業は、実際に経験してみないと意味がわからない。子供に理解できなくて当然である。
それから(好むと好まざるとに関わらず)経済界の中のマジョリティを構成する(してしまっている)「おっさん」という"ピンキリ"グラデーションな存在が、リモートワークする父親を通して、子供にも漠然と見えたんじゃないか、という気がしている。
なるほど、世のおっさんはこんな感じで働いていたのか、と。
コロナ禍における諸々の活動自粛とリモートワークにより、子供と過ごす時間が増えたことは、結果的に父親としては大きな意義があったと言わざるを得ない。
最近はリモートワーク廃止の話がちらほら聞こえる。リモートワークは家庭環境や父と子の関係に良い影響を与えることが多いはずで、回り回って、少子化対策の一つになり得るのではないか。
経営者が大事なのは今年度の決算である。自社の株価である。目先のパフォーマンスのみである。リモートワークがもたらす効能など興味がないのが普通だ。だからこそ、経営者がリモートワークに前向きかどうかは、就職・転職先を選ぶ上で重要なファクターになってくると思う。