今週も10km以上歩いた。
風が寒かった。
ヒートテックがよろしくないと実感した。汗を吸ってそのままスースーする。風邪をひくかと思った。ワークマンで防寒タイツを探してみよう。
この日は「老害」について考えてみた。
優秀なアラサーあたりがリーダーとして仕事を引っ張るケースが多い。
すると、アラサーあたりからは、アラフィフの僕はどうやらうっかり「老害」というレッテルを貼られてしまうことがある。
やはり価値観の違いが原因である。
価値観の違いは育った社会背景の違いである。
僕は団塊ジュニアのロスジェネ世代ということになっている。
自分で言うのも何だが、ここ30年かなり厳しい社会人生活だったと思う。
運がよかったり、判断がたまたま良かったりでなんとか今に至る。
結果、あまり牧歌的とは言えない人生観を持っていると思う。
今の若い人たちはまた別の世代だ。安易にレッテル貼りしたくないので調べない。
若い時に生きた社会は、やはりその人の信念やさまざまな確信、「こうあるべき」という思い、偏見を構成し、人生観を支えているものだ。
1回り以上も年が違うと、やはり考え方に違いがある。
僕が「当然そうなるだろ」と思うことも、若い人たちからすると「なんでそうなるんだよww」である。
若い人がギャップを面白がってくれれば何も問題ないのだが、上から目線でダメ出しなんかして(なんでそうなるんだよ(Sh*t))という反感が積み重なると、いずれ「老害」というレッテルを貼られることになる。
若い人にダメ出しなんかせず生暖かく見守り、飄々として、穏やかに場をまとめ、たまにしょーもない駄洒落を言うだけならば、若い人たちから煙たがられることもない。
しかし、アラフィフだとまだまだ元気だったりするし、経験も知識もそこまで古びてないので、どうしても口を出してしまう。ダメ出ししたり、方向転換を促したりしてしまう。
徐々に「ウザい老害」となる。
プライベートなら最悪お互い距離を置けば良いのだが(君に気に入られる努力をするつもりはないよ、という話)仕事だとそうもいかない。
困ったなと思う。
しかし、別にダメ出しをしたり口を出すのが悪いはずはない。
偉そうだったり、
上から目線だったり、
言い方がキツかったり、
何度言わせるんだ(直接は言わなくても、それっぽい態度)、
なんでこんな基本的なことを知らないんだ(と直接は(同上、
という言い方がいかんのである。
いや、まいった。
そりゃダメだよ。僕だって反発する。
ということは、老害と思われてしまうおっさんにも、かなりの非があるということになる。
若い人にカチンと思わせない言い方をすればいいだけの話だ。
参ったな。オレも悪かったのだ。
若い人にもっと気を使うべきだった。
散歩しながら反省してしまった。
素直に年上を尊重する(少なくとも表面上は)若い人が多い気がしている。
これも今のアラサー世代の特徴だろうか?
別に上から話す必要はない。
優しく、ゆったり、分かりやすく、同じ立場から話すべきなのだ。
必要があれば何度でも。
実は「老害」にしても「今時の若いものは」にしても、安易なレッテル貼りに過ぎない。
単に人生観の違いであり、衝突する必要はない。
お互いに良い点を学べば良いのだ。
若い方にしても年寄りの方にしても、安易にレッテル貼りせず、真摯にお互いに立ち向かえば良いのだ。
それが難しいんだけどね。
新しい時代に生きる若者だから正しい、ということでもないし、経験と知識のある年寄りが正しい、ということでもない。
相手が誰であれリスペクトは必要なのだ。
日本の「老害」問題の本質は、年取った方が(思わず)上から目線でアドバイスやダメ出ししてしまうのを(たとえそれが正しいものであっても)、若者が不愉快に感じて「老害」とレッテル貼りすることだろう。
言い方の問題である。つまり年取った方が悪い。
「最近の若いものは」問題の本質は、せっかくの忠告を聞かない若者に対する年上の人間の苦言である。
しかし我々もまた、若い頃は上から目線の年上の意見をウザがっていたのではなかったか。お互い様なのだ。
いずれも若い人たちに分があるのだ。
今回の散歩で大いに反省したのである。
おっさんとなってしまった今、いつまでも血気盛んではダメなのだ。
ある程度の成熟は求められてしまうのは仕方ないのだろう。
中身は中学生の頃からあまり成長してないんだけどな。
趣味やプライベートではそれで良いはず。
というかプライベートで成熟を求められても困る。正直。
若い人と一緒の仕事では「中身中学生のおっさん」ではなく、成熟した大人であることを求められるのだ。
面倒くさいけど、仕方ないのである。