歳を取るにつれてフィクションが楽しめなくなってきた。
単なる老化現象ではない気がしている。思うに年とともに脳内に「フィクションダメ出し回路」ができてしまったのではないか。だから何を入力しても「つまらん」という結論になる。
ということは、見たフィクションを脳内「ダメ出し回路」に入力しなければ楽しめるはずだ。
何であれ楽しめた方が人生は豊かなので、注意しながら積極的に見よう。
以下、最近見た映画のメモである。
ケネス・ブラナー監督主演2017年版をアマプラで見た。
僕の中では1974年版の印象が強い。もちろんテレビで見た。淀川長治さんの解説だった。ということは日曜洋画劇場だ。
1974年版の方が好きだ。思い出補正もあるだろう。子供の目に映る(もちろんSNSなんかない時代の)「ハリウッド大スター豪華キャスト」もキラキラしていた。アンソニー・パーキンス。イングリッド・バーグマン。ローレン・バコール。ショーン・コネリー。淀川さんの解説にも価値があった。
実際、昔の映画の出来も良かった。アルバート・フィニーのポワロも良い。原作がマンガ的なのでエンタメに寄せた1974年版の方が適切なんじゃないか、などと思う。リアルに寄せると禁断の「そうはならんやろ」がモヤモヤしてくる。シリアス味とヒーロー味を加えた2017年版も悪くないとは思うけど。
後記)子供が見て感心していた。同じくケネス・ブラナーのナイル殺人事件は何か納得いかなかったけど、これは面白かったらしい。
Netflix。最初は「セリフが下品で暴力的。ジョン・トラボルタ怪しいだろ。見ててしんどいかも。キツくなったら見るのやめようか」とどちらかと言えば否定的に見ていたが、ユマ・サーマンとトラボルタのダンスあたりから面白くなって、結局「うわwwひでえww」みたいな感じで最後まで楽しく見た。
俗悪・バイオレンス・ドタバタ・ナンセンス映画なのに、最後まで見たら「登場人物全員カッコよかったじゃん」と思える不思議な映画。前から見たいと思っていたので宿題を終えた気分だ。
「隠し砦の三悪人」
BSで見た。2回か3回目。クロサワ映画である。かのスターウォーズに色々アイデアを提供したのは有名である(Wikipediaに残っていて助かる)。雪姫がカッコいい。三船敏郎を従えるならあれしかないか。
「パラダイスの夕暮れ」
アマプラ。アキ・カウリスマキの映画である。負け犬三部作とか労働三部作とか、まあ地味なキャッチコピーがつく監督で、徹底的に地味な映画だ。冴えない登場人物が冴えない人生を真剣に生きる、みたいな。見てて困るのだが、ところどころ「いや、分かるよ」と心を揺さぶられる。困りながら「あー」とか「うー」とか思いながら見る。切なさ、やるせなさ、そうだ頑張れよ、など複雑な感興を呼び起こす映画。
そういえば前に一人渋谷で「街のあかり」を見たな。見終えて一人、歩いた渋谷のラブホ街は、カウリスマキ映画からの帰りには格好の舞台装置だった。
「おはよう」
小津安二郎の晩年の作。先日BSで放送された。録画して数回に分けて見るも挫折した。
基本的には挫折した映画についてブログに書くことはないのだが、この映画は頑張っても挫折したので書く。
コメディ映画である。笑えないことはない。詰まらないことはない。しかし見るたびに「うーん・・・」と困る。
小津安二郎独特の演出である「固定カメラ」「正面でのやりとり」「低いテンションのキッチリしたセリフ」はやっぱりコメディには向いていない。計算されつくした感のカットもそう。「はい。笑いどころはここですよ」という感じ。挿入されるネタもオナラだったり強力な婆さんだったりとどちらかと言えばありがち低俗ギャグで、小津映画と相性が良いとはいえない。分かりやすい「人間愛」とか「温かい眼差し」的要素があれば見やすかったろうが、淡々と進む小津映画にそんなものはない。全体に困った映画だった。
「ラ・ジュテ」
Youtube。ちょっと前にはてブに出ていた映画である。押井守や12モンキーズに影響を与えたとのこと。
映画というより紙芝居か。現代の技術からみればお金取れるエンタメとは言えないとは思うが、昔はアリだったんだろう。場末のミニシアターで見ればそれなりに刺さる気はする。
紙芝居であるが故に余白が多く、想像をかきたてる作品である。世界観もよい。見終えてああ。12モンキーズ。と思った。
振り返り
ここ2週間で結構見た。見ようと思えば見られるものだ。ホットクックのおかげかもしれない。ワリとマジで。
フィクションを見てブログで振り返ることは、なかなか有意義な時間の使い方である。