見終えて思わず唸った。
比較的淡々とした心理描写が続く。でも緊張感がある。かなり長い映画なのに退屈しない。自分を基準にするのもなんだが、僕が退屈しない映画は珍しい。
セリフが良い。
ケイト・ブランシェットがすごい。とにかく、すごい。(このボキャブラリーよ
単純に「白だね」「黒だ」と解釈できない映画だ。ラストも考えさせられた。
セリフについて(特に音楽に関する)
映画の軸になっているのがクラシック音楽である。
音楽を言語化する = 登場人物のセリフに取り込むのは、ものすごく難しい。人が音楽を語ってしまうことを通して、その人が「実際に音楽を生きて、音楽を生み出そうとしている人」なのか、それとも「分かってるっぽく振る舞ってるだけの薄っぺらいヒョーロンカ」なのか如実に現れてしまう。
野球の解説者は、元プロ野球選手でなくてはならないのだ。
どれほど野球が好きで、どれほど多くのデータを記憶していても、プロ野球に全力で打ち込んだ体験がなければ、その言葉(ファクト以外)は説得力を持たない。ヒョーロンカという存在は饒舌であればあるほど薄っぺらい。
そういうことだ。
「身体」が問題なのだ。「身体」で音楽に関わる人と、耳で聞いたことを恣意的に言語化するだけの人には雲泥の差がある。
この映画の登場人物のセリフには舌を巻いた。おそらく監督・脚本家は音大の教授や指揮者をしっかり取材し、あるいは授業に実際に参加して、そこで語られた言葉を消化して生まれたセリフだ。全く違和感がなかった。
ケイト・ブランシェット
この映画はケイト・ブランシェットの映画である。
クラシック音楽界という古典的男社会でのしあがったレズビアンの「天才」指揮者が主役だ。その設定にも関わらず「ポリコレ」政治臭は全く感じさせない。それは彼女から「強いと同時に弱く」「崇高でありながら醜い」矛盾した人間がリアルに立ち現れるからだ。美を追求する「天才」であると同時に、性欲と権力に踊らされ、気に入らない人には冷徹かつ軽率に精神的暴力を振るう。偉大なマエストロでありかつ醜く矮小な人間である。男だから、とか女だから、といった安易な類型化を許さない。ケイト・ブランシェットの存在感が映画を高みに押し上げている。
映画全体について
天才指揮者の絶頂から転落。その流れとテンポのバランスが絶妙だと思う。自然でありながらドラマティック。見事。
ラストが非常に興味深かった。
転落した「天才」指揮者が行き着いた先が、あのステージだったことは、何を意味しているのか。
皮肉なのか、救いなのか。
非・西欧文化を揶揄してるのか。(そんな単純じゃなかろう
逆に巧妙な西欧文化・西洋クラシック音楽業界批判なのか。(それっぽいが、だとすればどんな批判?
最初は「なんじゃこりゃ?」と思ったが、後から解釈を迫られている。
欠点は?
Amazonの低評価コメントはある意味で正しい。「セリフがもっともらしいだけで意味がわからない」「退屈」などなど。いずれも僕と逆の感想だ。
かなり「ハイブロウ」な映画なのだ。悪く言えば「お高く止まった映画」で、それがAmazonの低評価の原因だろう。
なんならバッハの(例えば)マタイ受難曲とマーラーの(これはピンポイントで)交響曲第5番を軽く復習しておいた方がいいかも?という映画。クラシックいかにも系のモーツァルトもショパンもシューベルトも出てこない。ベートーベンは出るけどね。
クラシックの教養を前提に意味付けしたシーンも多い(エルガー?とか)。クラシックに興味がない人が見たら低評価確定と思われる。
逆に、クラシック音楽好きにはお勧めしたい。
すごい映画を見たな、と。アマプラに入って良かった。